第7節 互恵主義
- 互恵主義 Reciprocity という単語を覚えておきたまえ。
A国が、B国に大使を送るならば、B国もA国に大使を送る。
A国が、B国からの輸入品に税金を課けないならば、B国も、A国からの輸入品に税金を課けない。
これらは、国対国の Reciprocity である。
- 欧米作法では、個人間でも、この Reciprocity を重要視する。
招待されたならば、招待し返す。
品物をもらったならば、品物を贈る。
「ごきげん、いかが」と言われたならば、「ありがとう。元気です。そうして、あなたは?」と言いかえす。
- 日本社会であれば、みんな兄弟であるから、貰ったら、貰いっぱなしにしておき、そのかわり、こちらのものを根こそぎ、くれてしまうこともある。
で、「ごきげんいかが?」に対し、「おう、元気だよ」のほうが気持ちがよく、「そして、あなたは?」では、水くさい。
品物を貰ったところで、それと同額ぐらいの物を返すのでは、相手の心を金額評価しているようで、下品な気もする。
- しかし、次元の低い相手には、こちらも次元を下げるのが、「作法」である。
国際作法……というが、欧米作法……では、Reciprocity を忘れないように。
- そこで、こちらが、作法をもって、相手に接しようとしていて、相手が不作法であるならば、こちらも、サッと態度を変えてしまうということである。
【参考】
- 欧米人は、こちらが、丁寧にすれば、丁寧に応対し、親切に事を処理し、こちらが、命令口調でいえば、とたんに、沈黙して、こちらを無視するところがある。
ホテル、レストランのボーイ、バスの運転手にいたるまで、そうである。
欧米人が、われわれにサービスしていて、間違ったり、命じられたことをやらなかったりしたとき、われわれが、おこり声を出せば、命令口調と受け取られる。
また、欧米人は、かなり地位の高い人でも、こちらが、「あなたは、間違ってるぞ」といおうものならば、自分が間違っているとわかっていても、強情に、自分の正しさを主張しつづけるところがある。言ってる内容は幼稚であるが、それを、繰り返し、押しとおす。
そこで、先方を改めさせようと思うときは、はじめから、「あなたの考えかたは、よくわかる。ありがとう。しかし、わたくしは、こうしてもらいたいと思っていたのだし、いまも、そうだ」という言いかたをしなければならない。すると、多くの場合、先方が「I am sorry」といって、改めてくれる。
こういうあたり、彼らの中でも、言いまわしの約束がある。これを知っていないと、いきなり、肩をはずされる。日本人同士、「うすのろめ」とか、「きちがいめ」とかは、喧嘩のとき以外には、言わない。かれらには、もっと、遠まわしな言い方をしても、「うすのろ」「きちがい」に類する表現ととられる。われわれは、演劇を通じてかれらを見すぎているので、その劇中の調子で、かれらに接すると、一般人のかれらには、かなり、強すぎることばをあびせていることになる。
- で、作法は、Entertainer の心、つまり、親心によって行なうのであるが、相手が狂って刃物を振りまわしていたならばどうするか。
- こちらが殺されてしまうと見たとき、相手から逃げる……可。
- Entertainer として他の人々を保護するため、相手を縛りつけて、警察に渡す。武力が必要……可。
- 相手を取り押さえられるし、警察に渡すほど狂暴な相手でもないと見るとき、相手と共に、こちらも、いくばく狂って見せながら、徐々に相手を鎮める……可。
- 相手が弱いくせに、空威張りしているし、まわりに対し、時間のゆとりがないと見たならば、こちらの強い言葉で、ピシャンと相手をやっつける……可。
- 相手に殺されて、相手が、やがて、反省するのを待つ……聖者のみが行ない得る。
- これを要するに、狂っている相手に対して、作法は要らない。
- さて、相手が意識的に無作法であっても、こちらが、作法的に出たとき、相手が自分の無作法振りに気づいて、態度を改める可能性を感じたとき、こちらは、相手の無作法振りにもかかわらず、作法的に応対することである。
このことは、世の中を良くしていくために、大切である。
- ことに、この方法は、無作法を自覚せず、無作法に陥っている相手を反省させるのに役立つ。
- 次に、作法に反すると知りつつ、わざと、作法を崩すことのために、こちらを巻き込んできた人々の所作に1度は、付き合われよ。そうせぬと、相手も反省に至らない。
ただし、法律を犯してまで、付き合われることはない。
2度目には、「このくらいとしよう」と申されよ。あと、それに、付き合われるな。
- 好ましくない行動をとっている人たちに、それを、やめさせる方法。
起立して、明るい、まじめな顔をして、ゆっくりと、「それは、望ましくありません」と申されよ。
約5分後に、また、行って見て、まだ、やめていなければ、「申し上げます。それは、望ましくありません」と申されよ。
さらに、約5分後に、また、行って見て、まだ、やめていなければ、「三たび申し上げます。それは、望ましくありません」と申されよ。
それ以上、なにも、申されるな。
言葉で告げる仕事は、もう、終わった。
- 相手に対して、礼を尽くすというとき、自分だけが超絶的に改まられるな。
相手のくずし程度に対して、一段階ほど改まれ。
- 観光産業マンが、客のよい作法を見たとき、自分も同時に、その作法を行なえるようでなはれば、ダメ。
そこで、まず、作法に目が肥えていること。
- 相手がくずしていないとき、こちらだけくずすのは、不作法。
【参考】
- 本校の学生A君が、休暇中に、横浜のある喫茶店にアルバイトに行った。
- そこの店主が、A君に言った。「あなたはホテル学校から来られたので、サービス作法を、すべて、正式にやっていただきたいのです。この店の従業員がくずれにくずれていて、わたしは困っているのですから」
- で、A君は、ことさら、改まって、やっていた。
- 他の従業員の中には、A君を見て、自分を改めてくる人物もいたし、わざと、A君のやり方を無視して、この店の伝統(?)を守ろうとする者もいた。
- お客の中に この店の常連である外人がいて、A君がサービスに来ると、目を細めて、喜ぶ人があった。A君は、自信を持った。やはり、この店の伝統(?)は、改めたほうがよいと思っていた。
- が、ある日、若い女学生が数名で入ってきた。A君が、その隣の席のお客にサービスしているとき、彼女たちは囁いた。
「ちょっと、ちょっと。あの人、ずいぶん、キザねえ」
これが、A君の耳に入った。A君は、棒で頭を殴られたような気がした。
- その晩から、A君は、力が抜けてしまった。で、翌日からこの店の伝統(?)のやり方に変えてみた。まもなく、他の従業員の中のゴロが来て、A君に言った。
「野郎。少し、この店の人間になってきたなあ。そういうことよ」
- A君は、にこっと、笑って見せ、そのあと、できるだけ、サマを崩した。
が、よい作法を望む客は、冷たくA君を見るようになったし、やがて、来なくなった。
店主も、A君に冷たくなった。
- A君は、アルバイト期間が終わると、学校に帰って来た。学校の授業が始まったからである。
- A君は、クラスで発言した。「いったい、こういう店では、どうすればよかったのでしょう」
- その答は、簡単である。
まず、隣席にいた女学生たちの囁き声など、はじめから覚悟していて、気にかけないことである。
- それから、作法を好む客には、こちらも作法を正してサービスすることである。
- それから、もし、その女学生たちにサービスするときは、その女学生たちより、一段階だけ改まってサービスし、決して、二段階改まることをしないことである。
- それから、トレーを持って、通路を行ったり来たりするとき、他の従業員の中で、きれい過ぎず、汚な過ぎず、目立たない存在でいることである。
- この考え方を、「保身の術」と考えてはならない。たまたま、保身の術にも、かなっているかもわからないが。
そうなのではなく、これが、みんなのためにする作法というものである。
作法は、わが身のためにするものでない。
- で、申したいこと。作法者は、どのように、上等な作法でも、また、各段階にくずした作法でも、できなければならないということ。
【参考】
わたくしは、昭和20年代のある日、日本の国会の中にいた。ある政党の代議士がたが集まって、ワイワイ雑談をしておられた。聞いていると、「洋食のとき、スープを音させずに飲めというのは、くだらんよ」「そうだ、そうだ」「あんなことを、押しつけられて、われわれの食生活まで、まげられてたまるか」「そこまで、外国駐留軍が、こわいのか」「すくなくとも、わが党員は、スープを飲むとき、つとめて音をたてて、飲もう」「よし、そうしよう」「よいか。スープは、ズープ、ズープと音を立てて飲むんだぞ」「ワハハハ」「あまり、熱かったら、スープと音を立ててな」「ワハハハ」
その後、見ていると、日本の中のホテルでも、この党員は、ズープ、ズープを、やってござる。昭和40年代に入って、ヨーロッパで、わたくしは、その党出身の国会議員と食事をした。相変わらず、ことさら、音を立てて、ズープ、ズープである。まわりの人々が、こちらを、振り向くくらいであった。
ところで、わたくしは、昭和43年に、日本で、ある大ホテルのある幹部と、上記政党の若手の代議士さんと、食事をした。この代議士さんは、自党員間の不文律を守って、ズ―プ、ズープなのか、洋食作法に慣れないために、そうされたのかわからなかったが、ズープ、ズープ。と、そのホテルの幹部が、素知らぬ顔をして、ズープ、ズープをやり出した。で、わたくしも、ズープ、ズープ。ちょっと、おもしろかった。けれども、あとで、わたくしは反省した。これは、やはり、いけなかったと。
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