第38節 作法のために頭が痛くなれ
- 人間の仕事には、「タテ」・「ヨコ」の仕事がある。
たとえば職場での通常業務は、タテの仕事である。
が、その職場の自分の抽斗の中を整頓したり、書架を整理したりする仕事は、ヨコの仕事である。
タテの仕事に熱中するあまり、ヨコの仕事をおろそかにすれば、次第に、タテの仕事の能率が低下し、ついにストップするに至る。
そこで、ヨコの仕事をおざなりにできない。しからば、朝から晩までヨコの仕事に熱中し、タテの仕事をしなければどうなるか。
これは問題外。けれども、よくしたもので、ヨコの仕事はある所まで行くと、ひとりでにあとがなくなる。
で、そこからは、ひとりでに手がタテの仕事に移ってゆく。そこで、われわれは、まず、ヨコの仕事に挑み、それを突破してからタテの仕事に進むというのが教養ある生活方法であろう。
しばしば、現代日本にあって、タテの仕事にのみ熱中し、ヨコの仕事をおざなりにする人物の多いのは、日本社会の教養レベルを示すものといえる。
- A地点からB地点に行くとき、車を運転してゆくものとする。この場合、車の運転はヨコの仕事にあたる。しかし、車の運転に慣れない者は、2時間も運転すれば頭がガンガン痛みだし、その日の晩までタテの仕事の仕事どころでなくなる。
で、車の運転に慣れると、ほぼ無意識に、しかも、正確にそれができ、少しも疲れを覚えない。
- 1つの服装を整え、1つの動作を行ない、1つのものの言い方をするといったことは、総て、ヨコの仕事である。つまり、作法を守るということが、ヨコの仕事なのである。が、作法に慣れないうち、それこそ、しどろもどろし、ついには、頭が痛みだす。
そこで、作法を適当にし、タテの仕事にもっと力を入れようと考える人物が多い。
この結果、つまらぬことから対人関係を悪くし、誤解を受けるに至る。ところが、作法は慣れると、無意識に、正確に、美的に行ない得るようになる。その段階まで、作法を克服してしまわなければならない。
- 諸君よ。まず、作法を頭が痛くなるまで行ないたまえ。そうして、克服したまえ。
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