第39節 教授法での注意
- 諸君は、本校卒業後、職場で、部下に作法を教えられなければならない。
そのときのために、いくばくの注意事項を、ここに、述べておく。
- 教えるときには、1グループを6名までとするようにつとめられよ。そうせぬと、どうしても、弟子の能力に、差を生じすぎる。
- 弟子に、身わざを、実地に行なわしめる教授のときは、連続40分間を限度とするよう、つとめられよ。それ以上は、空転してくる。ただし、この40分間には、説明、講評を含めない計算としてよい。
- 弟子を、次の4種類に分けて眺められよ。
- 遅刻、欠席の多い者。いかに、特色ある者でも、ムラ気、わがままの多すぎる者であり、教えても、ムダに終わるし、他の者のじゃまになる。早めに、切ること。
- 出席状態はよいが、研究心が弱く、とおりいっぺんに、最低ノルマだけ果たそうとする者。これは、いくばく、研究心を要する課題を与えれば、必ず、そこで、ひっかかる。これらの人物の数は、多い。これらの人物には、本当のことを教えてもムダである。教師としては、深入りせず、放置しつづけ、免状も出すな。
- 出席状態よく、頭もよいので、すぐ、いちおうのコツをつかんでやってのけるが、そこから先に伸びのない人物。あまり、こまかいことの好きでない人物。これは、ほめて、勇気を与え、しかし、放っておけ。安もののほうの免状だけを与えられよ。
- 出席状態よく、しかし、せんさく好きで、細かく、質問してくるくせに、なかなか、わざの伴わない者。これは、あと継ぎとなり、さらに、道を発展させる人物であるから、研究会を別に設け、一般訓練のほかに、さらに、力を入れよ。
このCとDを、とり違えて扱えば、教師として、二流となる。
- 上記Aの弟子は、わたくしのところでは、さらに、次のように分析できる。
- 一族そろって、バリバリ、事業をやっておられ、「作法?エッヘッヘ!」といった家族的哲学?の持ち主であられる方
- 父兄が、ある専門の分野での大家であられ、無作法というよりも没作法に徹しておられ、その影響が、その研究生に出ておられる方
- 作法を、へつらいと、自分の形をよくするための手段と思っておられる方(わたくしは、ある日、近所の子供たちを連れて、消防訓練を見にいった。子供たちは、消防士の着ているコロモを火の中から人を救い出すための着物と見ず、カッコイイために着ているものと思っていた)
- 個性ある行動のために、作法はじゃまになると見ておられる方(店の個性と個人の個性を混同してはならない。個人が、自分の個性を意識したとき、わがままな臭みしか出て来ない)
- 「テレ半分」「冗談半分」で、つきあっておられる方(まだ、子供である)
- 学校での作法を身に付けておくと、職場での作法と食い違うため、そこで、苦労すると思い込んでおられる方(わたくしの作法を見もせず、実習生から“また聞き”して批判されるホテルマンがある。しかし、そのホテルに就職しようと思っている研究生としては、わたくしの作法を警戒されることとなる。わたくしは、そういうアホウを放置する)
- 職人(板前)などに、作法を教授する場合、彼らの多くは、作法など関係ないという態度を取る。
そのときは、必ず、その場において言い聞かされよ。
総論