総論 ◆第22節 作法の流儀
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第22節 作法の流儀


  1. 作法の太い流れとして、「儒教系」「仏教系」「カトリック系」「プロテスタント系」「回教系」がある。

  2. 儒教系作法は、孔子の「礼」の思想に発する。長幼、身分の別を前提とする。

  3. カトリック系作法は、ルネッサンスに入ってから、起こりはじめた。
    Desiderius Erasmus 1466〜1536(オランダ人)と書くと、誰かということになるが、1500年代最大の人文学者エラスムスである。かれの書いた「礼法」が、カトリック系作法のほんの最初のものであろう。当時、はなはだ広く読まれたようである。

  4. ついで、Baldasarre Castiglione 1478〜1529年(イタリア人)(カスティリオーネ伯)(この人の肖像はラファエロが描いており、いまも、ルーブルにある)の書いた Il Cortigiano(廷臣論)1528年で、はじめて、こん日言うテーブル・マナー、服装の注意、交際作法などが記述された。

  5. これらカトリック系作法が、東洋の儒教系作法と異なる点は、身分の上の者の演出する服装、所作を、身分の下の者が、まねて、同じようにすることをもって、作法に適うとしている点である。儒教系作法では、身分の下の者が身分の上の者と、服装、所作を同じにすることを、失礼としている。

  6. このカトリック系作法は、要するに欧米的な考え方を表わしたもので、たとえば、現代日本人が、握手しながら、お辞儀をしているあたりは、儒教系とカトリック系のミックスに失敗している例と言える。

  7. プロテスタント系作法では、1600年代、イギリスのクエーカー派のやり方を代表的なものと見たい。
    粗衣をまとって、どこにでも出かけてゆく。人にあっても、晴れやかにしており、いやな顔は見せず、出しゃばりにならないよう、控え目にしている。要するにイエス・キリストは、きっと、こうであったであろうという風にする。心のうちの愛の精神がおのずから行動の上にわくままにせよというのが柱。自然のままではあるが、愛の精神に基づかなくてはならない。愛せない相手のときは、愛そうとするから、そこだけ、不自然となる。また、相手が、粧いたいとき、「それは違うぞ」という無言の教訓を押しつけるので、ときどき嫌われる。しかし、いっさいの旧来の形式に知らん顔をしようとするし、簡素美を新しくつくり出している点で、スマートである。ある“におい”と、あるスマートさを持った人たちという目で見られてきた。 で、アメリカ・マナーというものは、この形を母体としている。 つまり、クエーカー派の人たちが、新天地を求めて、多く、アメリカに移住したということに由る。 いまでも、ニュー・イングランド一帯の人たちの簡素で厳しい美しさに、これが残っている。 東洋人から見るとき、カトリック系作法と同じ、西欧的ベースに立っているが、異常な形式拒否症にかかり、底ぬけに親切で、「それはいけない。これがよい」と押しつけがましい特色を持っており、要するに、こん日、われわれが、アメリカ人気質として理解するもの、そのものの作法である。

  8. 仏教系、回教系については、大きいが、省略する。

  9. では、日本作法の流れは、どうか。
    人類が火を用いて80万年。日本列島が大陸から離れ切ったのが、約5千年前らしい。 この80万年前から5千年前までの間に、太平洋族が日本にもいて、原始的ながら、ある生活タイプを持っていたものであることは、おおよそ、想像がつく。 日本列島が、大陸から分かれると、この太平洋族のタイプは、日本という島や、フィリピン、インドネシアといった島々に残った。で、現在も、その尾を引いている。

  10. 日本に仏教が伝来したころ、同時に、儒教も伝来して来ていた。 聖徳太子の礼法は、精神を仏教・儒教に、またがらせておられたが、形は、はなはだ、儒教的であったと見る。

  11. これは、平安期に、太平洋族的な原型と、よくコンバインして、いわゆる日本調となっていった。

  12. 平安中期以降に、公卿作法と武士作法の区別はなかったと見る。 公卿は、みやこで、詩歌管絃のみを生活としていたのでないことが、現在では、次第にわかってきている。地方の任地に赴き、そこでは、武士的でもあった。また、職業武士の兵学は、公卿から授けられていた。

  13. これは、室町時代まで続き、そこで、公卿用兼武士用兼庶民用作法として、整理されたものが、室町礼法である。
    当時、「明(みん)」の文化と人々が、日本に押し寄せ、ここに、商業経済による農業経済の攪乱と、新来思想による混乱があり、作法も大いに乱れ、そこで、室町礼法が編成された。
    室町幕府は、伊勢家、今川家、小笠原家(いずれも大名)に命じて、平安礼法をもとに、それらを編集させた。

  14. が、まもなく、戦国百年間に、伊勢家、今川家は滅びた。ことに、今川義元が織田信長に滅ぼされたことは、有名である。 で、小笠原家だけが、礼法伝承家元として残った。 豊臣秀吉が、諸候に小笠原流を習わせ、自分も習ったという話も有名。

  15. 江戸時代に入っても、小笠原家は、朝廷、公卿、大名の間に、礼法家元、兼、大名という形で、存在していた。が、礼法は口伝であり、本にはされなかった。

  16. 江戸幕府5代将軍綱吉の時、江戸の人、水島卜也(ぼくや)は、小笠原流の解説書「礼法」を表わした。
    ただ、この著述は、家元小笠原家と相談なしに行われた。では、小笠原家が、なぜ、抗議しなかったか。公卿・大名が、その小笠原家元によっている以上、街での出版物に対して、捨てておけばよかった。

  17. 幕末から明治維新にかけての公卿用大名用礼法には、小笠原家元の活躍が目覚ましいが、明治時代に、小笠原家元は、フランス礼法を大量に取り入れ、“現代小笠原流”となった。これが、現宮内庁作法、ひいては、外務省作法の源流をなしている。そのまま、国民作法にしてよい。

  18. 昭和10年代に、文部省を中心として、国民礼法が、つくられた。これは、簡潔であるが、美しさに欠けるところがある。大急ぎでつくられたものであるだけに、こなれの悪いところがある。が、よい部分もあるので、その部分は、今後も使っていってよい。

  19. 昭和40年代に入って、なん人かの方の作法の本が出ている。 これらは、いずれも、あまりに、こわれてしまっている国民の作法を建てなおそうとして、まず、「窮屈なことを言わず、作法に目を向けてもらおう」ということを主眼に書かれているものと見る。

  20. 以上のように、作法という型には、東西にいくつかの流儀がある。
    どれが、もっとも正しいかということは、ない。
    ただ、それぞれの流儀には、それぞれの「わけ」がある。
    奇妙な作法を見られたとき、その「わけ」を考えられよ。

  21. 1つの文化は、それに伴う一連の作法の型をつれて、広がってゆく。 茶の湯、生け花、柔剣道などでの作法は、世界中で、日本式作法を行なってくださっている。

  22. しかし、欧米では、茶の湯、生け花を行なうにあたり、日本式作法と異なる作法を創り出して用いていることがある。 そういうとき、かれらは、日本人に対し、その新作法を押しつけようとしないし、押しつけるときには「つきあってください」という。

  23. 日本でも、たとえば、中国式、韓国式、ヨーロッパ式、アメリカ式の文化を受け入れたとき、それぞれに付帯している作法の型を把握し、行なわなければならない。

  24. 同じように、たとえば、日本で、洋食を箸(はし)で食べる作法を創り出してもよい。 しかし、それを、欧米人に、押しつけてはならない。

  25. 日本のなかでも、作法に、関東流、関西流といった差があるとき、それらを用いるにあたり、相手によって、押しつけにならないよう注意が要る。

  26. 相手側の作法を、こちらが知らないとき、こちらの流儀で行動するにあたっては、相手に、挨拶してからに、すべきである。

  27. さて、作法の流儀の中で、いちばん大きな違いにだけ、気づいておきたい。それは、東洋式と西洋式の違いである。
    日本人の心には、「 一は、すなわち、多なり。多は、すなわち、一なり 」というところがある。「一即多」を、なまって、「いっしょくたん」というほどである。
    欧米人の心には、「 一は、すなわち、一なり、多は、すなわち、一のたくさん、ならんでいるものなり 」というところがある。
    いま、日本で嫌われている「全体主義」などという言葉も、原語は、コレクティビズム COLLECTIVISM で、直訳すれば、「集合主義」となる。全体という単位を意識するためにも、西欧では、個をあつめたものとしてしか、意識できない。
    同じ民主主義を考えるときでも、個人、そうして、その集合体について考える民主主義と、国民全体、そうして、その中の各個人について考える民主主義には、どこか、差を生じてくる。
    キリスト教が、なぜ、西欧社会で、重要な働きを持ち得ているかというと、キリスト教が、本来、東洋的なものであって、「1つなる全体」を西欧社会に与えるものであるからと説く人もいる。
    同じように、東洋人が、欧米文物に魅力を感ずるのは、1つには、その進歩した文明によってであるが、もう1つ、東洋に欠けた「個」の確立の方法を与えてくれるからであるという見かたもできる。

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[品物を大切にせよ] [与えられた文明には心が乗りにくい] [ゴツイ人物のやり方]
[自分自身がどうしてよいか分らないとき] [どうしようか迷っている相手に対しては]
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[統一型作法と並列型作法] [欧米との流儀の融和] [アメリカ作法を見誤るな] [一般と特殊]
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