第31節 作法と女性
- 古代ギリシア、ローマもそうであったし、キリスト教も、女性を崇拝するよう男性に命じたことは、1度もなかった。男性に、女性を保護せよと命じてきただけである。
- キリスト教の入ってくる前の時代のゲルマン人たちは、「みこ」の神がかりによる命令を中心に、すべてを律していたので、ゲルマン神話、伝統には、姫君のために、命を捧げる勇士の話が多い。
このことが、キリスト教時代に入っての中世にも、騎士道という形の中の女性保護、女性優先、女性崇拝という形で生きていた。
- 次に、だいたい1500年。イタリアにおいて、オーバーな女性崇拝の風習が起こり、これが、1600年、1700年と、全ヨーロッパに広がった。
- 女性を、尊敬してみせる、この欧米の風習は、今後の500年間、すなわち2500年ごろまでにおいて、人類が、これを、どう、変えていくかが残る問題である。
- つまり、いくつかの点で、過去500年間に進んできた欧米風調の中には、男性ベースで女性を高めたため、女性を男性にしてしまった点が認められる。
- つぎに、日本としては、この敗戦後に生じた数十年間のみの異常さを別にして考えるとき、いまだ、欧米に遅れている点が目立つ。すなわち、欧米が、過去500年間に進めた女性への保護と、女性そのものが、社会的に無責任な行動をとらなくなってきている点について、日本は、これから、さらに、がんばらなければなるまい。
- 端的な話、信号を待って横断歩道を渡るというとき、日本では、男性が、女性を先にして渡っていくことをしない。また、日本で、信号を無視したり、横断歩道の途中から、斜め横断に転ずる人物に、女性のほうが多い。自宅で,自分より先に、みんなに食事をさせたりできる女性が、ひとたび、公共空間に出るや、そこで、だらしなくなるのは、社会的な女性に対する保護と制裁がないからである。
- 作法にあって、日本には、現在のところ、異常な女性上位の作法は見当たらない。
- が、女性のために考えている作法が、昔から日本にあったものを、やめにしながら、新しくは、つくられていないため、女性が、男性作法をさせられている点が見受けられる。
- また、男性が、女性を保護する作法を、もう少し、補強しなければなるまい。
総論