第2節 チューイン・ガム
【型1】チューイン・ガムを噛んでよいとき
- 車を運転していて眠くなったときとか、保安上、必要な場合を除いて、人前で、チューイン・ガムを噛まれるな。
- 車の運転でガムを噛むときも、同乗の人たちがなにも口に入れていないときは、ちょっと、挨拶してから、噛まれよ。
【説明】
- ある年、研究生諸君が入学してこられたばかりのとき、わたくしが教室で、講義していると、その中の1人、A研究生が、チューイン・ガムを噛んでおられた。
で、わたくしは、それを、「やめたまえ」と申した。A研究生は、すぐ、やめられたが、あとで来られて、小声で、「ガムを噛んでは、いけないのでしょうか」と申された。
わたくしは、「どうして、ひとり、ガムを噛んでおられたのか」と質問した。研究生は「眠くなったので、噛みました」と答えられた。
なるほど、居眠りよりガム噛みのほうがよい。
- たまたま、A研究生が、次の授業のとき、教室で研究発表されることになっておられた。
で、わたくしは、「そのとき、誰かにガムを噛んでもらって、それを、研究生として見たまえ」と申した。
で、A研究生は、それを、実行された。わたくしも見ていると、B研究生が、クチャリクチャリと口を動かしておられ、その前で、A研究生は、研究発表を行なっておられる。
授業が終わってから、わたくしは、A研究生に伺った。「どうだった。」
A研究生は、「別に、なにも感じませんでした」と答えられた。
わたくしは思った。「なるほどね」
- で、念のため、A研究生の本校入学前の大学の様子を伺ってみた。
A研究生のおられた大学では、セミナーの時間を含めて、ガムを噛んでいても、別に、文句を言わなかったし、たがいに、よい考えも浮かんだということであった。
- で、つぎは、わたくし自身、どうして、ガムを人前で噛まなくなったかを考えてみた。
わたくしの若いころ、日本には、アメリカ進駐軍人というのが、あふれていた。この人たちは、何人に1人の割合で、どこででも、ガムを噛んでいた。その後、わたくしがアメリカに行ってみると、大学の中でも、学生が、何人に1人の割合で、ガムを噛んでいた。
であるから、授業のとき、わたくしは一学生として、眠くなったにつけ、ガムを噛んだ。先生によっては、何も言わなかった。が、ある先生は、教壇を降りて、わたくしがガムを噛んでいるところに、やって来た。で、いきなり、えらい剣幕でおこった。で、わたくしは、アメリカの同じ場所でも、相手によってガムを噛めんわいと思った。
同じく、ヨーロッパのある国で、わたくしは、観光客として、その国の尊厳なる物を見物していた。そのときも、ガムを噛んでいた。ところが、そこを番している女性が、わたくしの前に来た。ハンカチーフを、わたくしの口の前に出して言った。「ガムをはき出しなさい。Please spit gum!」
これを、このA研究生のガムというテーマのとき、改めて考えてみなければならないと思った。
- タバコが、広く人類に吸われて300年経つ。で、タバコは、たべものでないと思う約束が、でき上がっている。ところが、チューイン・ガムは、まだ、人類経験として、50年の歴史しか経ていない。で、口を動かすし、たべものと考えられているフシがある。
で、タバコより、はるかに健康的であっても、タバコより行儀の悪いものと考えられている。チューイン・ガムを人前で噛むなというのは、くだらぬ因習と見てよい。が、少なくとも、あと100年ぐらい、これを因習と知りつつ、守ってゆかなければなるまい。
- ついでに、ここで、奇妙な話をする。
過年、わたくしは、東洋のある国で、中流良家の女性5名と、映画を見に行った。喜劇のあと、映画の筋が、にわかに悲しいものになった。わたくしも涙が頬を伝わった。女性がたは、ウッウッウッと泣いておられる。と、女性がたは、涙で、鼻が詰まったとき、ブィーッと手鼻をかまれた。わたくしは、ハッとした。その手にくっついたのを、ペッと、床にたたきつけられた。なかなか、うまい。それから、また、ウッウッウッと泣いては、ブィーッ、ペッ。わたくしは、がっかりした。映画が済んで、明るい外に出て見ると、女性がたは、日本での女性がたより、はるかに、作法の板についた方々であったし、手も乾いていた。
わたくしは、思った。「ヤレヤレ、これが文化とか作法とかいうものだ。国が変われば、
基準も組みあわせも、変わってしまう」
第7章 飲食・喫煙