【参考】légumes
- légumes レギューム。野菜。
それから、とくに、豆類のこと。
- légumes は、なまで食べるとき、だいたい、salade サラドと呼び、煮たり、いためたり、蒸したりして食べるとき、また、légumes と呼ぶ。(Salade でも、野菜を、ゆでたりしたものであることもある)
- 温野菜(おんやさい)は、肉や魚の garniture とすることもあり、一品料理にすることもある。が、魚料理につける garniture ポテ卜は、料理が嫌いだからといって、ポテトだけ取ることはできない。
【型1】レギュームは取らなくてもよい
- つけ合わせの野菜は、プラッターから、ほしいものだけを、取ればよい。
- すべて、嫌いならば、肉だけにして、まったく、取らなくてもよい。
- 反対に、肉が重いとあって、野菜だけを取っておくこともゆるされる。
- 肉類と野菜などを1皿に取るようにしてある料理の妙味は、こんなところにある。
その妙味を、生かされることである。
- もとより、両方、欲しいときは、両方、取られよ。
- ウェーターに取ってもらうときも、「これと、これをお願いします」と指示してよい。
【型2】じゃがいもの食べ方
長径5cm以下のじゃがいもは、ナイフでなく、フォークで切られよ。これを、ドイツでのみ、そうすると書いた本があるが違う。
【説明】
これは、1600年代から、ヨーロッパにじゃがいもの栽培が広がり始め、パンにつぐ主食とされ、それを、フォークのみで食べてきた習慣が残っているものと思われる。パンを、
ナイフで切らないように、じゃがいもも、ナイフで切らないということかも知れない。
【参考】じゃがいも
1540年、南米のキトーから、スペインヘ、はじめてジャガイモが伝えられた。ヨーロッパ人がジャガイモを見た最初である。
1760年ごろ、プロシアのフリードリヒ大王は、冷害凶作を切り抜けるため、全ドイツ中に、ジャガイモをつくることを命じた。これは、自作農創設政策の一環でもあった。大王は、小作人の存在を嫌った。こういう事実は、偏向を示す近来の歴史書を学んでいても、わからぬところである。
事来、ジャガイモは、パンと並んだドイツの主食となり、ここから、多くのジャガイモ料理が生まれてきた。
【型3】豆の食べ方
アメリカ人は、しばしば、豆をフォークで潰してから、同じフォークですくって食べる。ヨーロッパ人は、潰さずに、そのまま、すくって食べる。東洋人の場合、アメリカに行ったときでも、ヨーロッパに行ったときでも、どちらのやり方を用いてもよろしかろう。このと
き、フォークをスプーンのように持って豆をすくって食べられること。
【参考】マカロニ・スパゲッティなど
- 1295年、マルコ・ポーロが、元(げん)の国から帰って、イタリアに、中国の「うどん」の作り方を伝えた。(加藤祥先生)
- で、マカロニ、スパゲッティ、バーミセリは、1310年前後、ナポリ王国の宮廷で、つくり、食べ始めた。つまり、まだ、670年の歴史しかない。
- イタリアに行くと、よく、オードーブルの出るはずのところで、マカロニやスパゲッティが一山、どさっと出され、面喰らう。また、そのあと、スープが省略されたりすることもある。あるいは、オードーブルとかスープとかいうところを、マカロニ、スパゲッティでやってしまうのが、イタリアの一般の食べ方なのかも知れない。
- AD300〜700年ごろのギリシア語で、makaria は、大麦のスープ。これと関係がありはしないかという説もある。1300年代のラテン語で、maccherrone または
maccarone は「ムギ」。その複数形が maccheroni または maccaroni 。現代イタリア語では、macaroni である。
- マカロニとは「お麦麦」といっているようなもの。
- Spaghetti は、マカロニより、少しあとで生まれたらしい。1300年代のラテン語で、spargo は、細長いものでバラ撒かれているもの。spargetto で、そういうものの小さなもの。その複数形で、spargetti 。これが、現在イタリア語では、spaghetti となっている。「おバラ」。
- vermicelli は、スパゲッティより、あとで生まれた。vermi は英語では worm(虫)。cello は little(小さい)。celli で複数になる。スパゲッティのもっと細いものであるから、これは「お小虫」。
- イタリアの麦は、日本の麦と同じで、パンよりはうどんにむいている。で、これらの食べ物は、実際に、食べてみて、美味かったから、ヒットした。
- こん日では、ご承知のとおり、ナポリタン(ナポリ風)、ボロネーゼ(ボローニァ風)、ミネラーゼ(ミラノ風)と、料理の仕方にバラエティもできている。
- 南フランスでは、どうやら、このイタリア麦に近い麦がつくれるので、ここでも、マカロニ発明後、うどんをやってみた。「ヌユ」である。が、やはり、麦のねばりがなくなるので、せいぜい、きしめん状にしかできない。そのかわり、腰のしっかりした風味は出ている。
【型4】スパゲティの食べ方
- スパゲティは、食事コースとしては、スープの位置に当たる。
左手で、デザート・スプーンを皿に垂直に壁のように立てる。フォークに、少し、すくったのを、スプーンに突き当てて、クルクルまわし、このフォークに巻きついたスパゲティを食べる。
- 上手になると、スプーンは要らなくなる。
- が、イタリア人でない欧米人には、このようなことは、なかなか、できないし、多くは、コース中の、温野菜の一部として扱われていて、スプーンもない。そこで、これを、ナイフ、フォークで食べるということになると、厄介なことである。
- まず、マカロニ、スパゲッティの山に、水平にしたフォークを刺し込み、これを持ち上げ、垂れさがった分を、ナイフで、フォークに巻きつけ、このとき、あまり、長く、下に残っている分をナイフで切り、そうやって、フォークから、マカロニ、スパゲッティが、ずり落ちてこないうちに、あんぐり、口にほうり込むというのが、一般形である。
が、これで、やれるのは、はじめの2刺し、3刺しであろう。
- そのあとの分の処理法であるが、結局、いんげん豆ぐらいの棒に切って、それを材木のように並べ、フォークですくって、口に持ってゆくということになる。しかし、これ
すら、練習しないと、空中で、フォークから、ずり落ちる。
- が、こうしてまで、マカロニ、スパゲッティを食べても、美味でない。わたくしなどは、めんどうになってきたところで、やめて、あと、ただ、かき集めておく。
【参考】とうもろこし
とうもろこしは、BC1500年〜1400年に、中米で栽培が始められたもの。AD680年代に、マヤ王国の主食になっていた記録がある。その後、スペイン人が、ヨーロッパにもたらした。が、コーン・スターチ、コーン・スープといった展開を示すのは、イギリス系アメリカ人たちである。
- 1492年
- コロンブス、アメリカ発見。
- 1562年
- フランスでユグノー戦争がおこり、新教徒ユグノーたちが、南カロライナに移行。
- 1583年
- イギリス人ギルバートが、ニューファウンドランドを探険。
- 1603年
- フランス人シャンプランがセント・ローレンス川を探険。カナダを開拓開始。
- 16O7年
- イギリスが、ジェームズ・タウン建設。
- 16O8年
- シャンプランがケベック市を建設。
- 1619年
- ジェームズ・タウンにアメリカ最初の議会成立。
- 162O年
- イギリス清教徒ピルグリム・ファーザーズが、メイ・フラワー号でプリマスに上陸。
- 1630年
- イギリス人がマサチューセッツに大移行。
- 1634年
- イギリスがメリーランドに植民地を建設。
- 1635年
- イギリスがコネティカットに植民地を建設。
- 1652〜54年
- 第一次英蘭戦争。
- 1665〜67年
- 第二次英蘭戦争。イギリスが勝ち、アメリカのオランダ植民地ニュー・アムステルダムを奪い、ニューヨークと改称。
- 1672〜74年
- 第三次英蘭戦争。全オランダ植民地をイギリスが奪る。
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だいたい、この1600年代に、主としてイギリス人の手によって、アメリカで、とうもろこし料理ができ上った。
【型5】とうもろこしの食べ方
コーン(とうもろこし)は、日本でと同じに、両手で持って、食べられよ。
このとき、バタ・塩(ときに胡椒)を皿の手前の部分に取っておき、コーンを、これらに、つけては食べられよ。まあ、塩を、コーンの棒にふりかけ、バタを、バタ・スプレッダーで、こすりつけても、ひどく不作法とは、見られない。
【型6】パセリの食べ方
- 温野菜でないが、パセリは、飾り物でなく、食べるものである。略式の場では、塩をかけてもよい。ただ、これも、2立方cmを超えると見たときは、ナイフで切って、食べられよ。
- ただ、日本の大衆レストランでは、パセリを飾り物として、なん度も使っていることがあるので、そう見てとったときは、ただ眺めておかれよ。