第19節 パンとバタ
【通解】パンとバタ
- パンとはポルトガル語。フランス語でも、Pain パン。ドイツ語で、das Brot または、die Semmel。 英語で、bread。
- バタとは英語。butter。フランス語で、beurre ブール。ドイツ語で、die Butter。
【通解】パンは主食
- われわれは、コメを主食にしてきた。近来、その主食消費量が減ってきた。しかし、われわれの主食は、今後とも、コメである。
ハム、セム、ラテン、ゲルマン、ともに、パンを主食にしてきた。近年、その主食消費量が減ってきた。しかし、かれらの主食は、今後とも、パンである。
- で、作法であるが、和食のとき、ごはんを、さらりと、きれいな食べ方で食べるように、そして、その食べ方が、他のごちそうを食べるのと、どこか違うように、洋食でパ
ンを食べるとき、ある心組みのある食べ方をしたい。要するに、ごはんに向かう気持ちということである。
【型1】フォー・ビア
- ヨーロッパでは、はじめにパンが出されたならば、それが、ビールの「つき出し」であるか、ほんとうの食事用であるかを、確かめられよ。わからないとき、ウェーターに聞かれよ。
- 「つき出し」という英語がない。で、「 For beer?」と言えば通ずる。
【説明】
1972年7月、わたくしは、イギリス、カンタベリーの、開店以来550年というレストランで、昼食した。仲間は、1970年本校研究科生1名、1971年本校研究科生1名、わたくしと3名であった。食前に、まず、1杯ずつ、イギリス・ビール(エールという)をオーダーした。すると、エールといっしょに、パンをのせた皿が、めいめいに置かれた。そ
のパンを見ると、黒パンであって、あらかじめ、バタらしいものが、ごってり塗ってある。いずれにせよ、このパンは、スープが済んでから手をつけるべきであろう。で、3名とも、おとなしく、エールだけを飲んでいた。つぎは、オードーブルである。オードーブルは、型のごとくサービスされた。が、そのとき、さっきの黒パンを皿ごと持ってゆかれてしまった。
エールのジョッキは、そのまま、置かれていて、だまっていても、おかわりがくる。ついで、
スープの運ばれたとき、別に、パン皿だけを持って来て、さっきの黒パンの皿のあったところに置かれた。それから、籠に、ふつうのロール・パンをいっぱい入れたのを持って来て、みんなのまんなかに置かれた。ここからあとは、日本人としての常識どおりであった。3名で、あの黒パンは、いったい、なんであったろうと相談した。そこに、店の若主人があらわれた。で、聞いてみて、わかった。あの黒パンに塗ってあったものは、チーズであった。客は、これに、塩などをふりかけて、食べながら、エールを呑めばよい。しばらくして、客のほうから、「それでは、そろそろ、食事をたのむ」という。すると、エールは、食事の終わりまで、おかわりを自動的に反復してくれるが、オードーブルなり、スープなり、料理なりに入るとき、黒パンの残りを下げてしまう。つまり、チーズ付き黒パンはエールの「つき出し」であったわけである。
そのとき、思い出した。その何年か前に、わたくしは、チェコ・スロバキアのプラハのホテルでピルゼン・ビールを注文したとき、いっしょに、黒パンを出されたことがある。チェコでは、黒パンに、岩塩をふりかけて、食べる。そのとき、チェコ人が、こう説明してくれた。
「スボボタ大統領以下、チェコでは、こういうパンの食べ方をする。うまいだろう」わたくしは、「ハハア、チェコの食料事情は、ひっぱくしているから、こうもするのかな」と思った。とにかく、現在のチェコの食事は、気の毒に、ひどいから。
が、いま、イギリスの黒パンとエールの組み合わせは、チェコでの黒パンとピルゼン・ビールの組み合わせに似ている。
もうひとつ、思い出した。日本の国鉄の列車食堂で、外人が、ビールとパンを注文し、パンにバタを塗り、塩をふりかけ、それをサカナにビールを飲んでいるのを見たことがある。日本人から見ると、カネがなくて、サケを飲んでいる風情であった。
カンタベリーで、このようなことがあったので、わたくしは、日本に帰ってから、いくばくのヨーロッパ人に、聞いてみた。で、わかったことは、つぎのようなことである。
「ビールのサカナに、よくパンを使う」「食事どき、客がビールから始めるならば、カンタベリーでのサービス方法は、礼儀正しいものである」
で、ビールのつき出しに出されたパンは、食事用のパンとは別であるから、はじめから、ムシャムシャ食べればよい。
【型2】パンの食べはじめどき
ほんとうの食事用のパンについては、その食事が、英米式であるか、一般式であるかを、たしかめてから、パンの食べはじめときを、決められよ。
【説明】
- 多くのものは、英米式が、世界の標準となっている。ところが、国際的な協定で定めたメートル法の時代に、英米のマイル、ヤード、ポンドといった尺度があらわれても、われわれは、それを二次的なものとして扱わざるを得ない。
パンを、スープが済んでから食べ始めるというのは、英米式であるが、マイル、ヤード、ポンド法に対すると同じに考えたほうがよい。
日本では、しばしばフランス料理のときのみパンを最初から食べると思っている。それは、日本に、はじめ、イギリス作法が入り、ついで、フランス料理とともに、一般作法が入ってきたために、そう思われただけである。
- 初めからパンを食べてよいというものの、正客から食べ始めてゆくことを崩されないように。
- パンを初めから食べるしきたりは、古代ギリシア・ローマから続いてきている。キリスト教の感覚からいっても、パンは、キリストの精神的な肉であり、ワインは、同じく、精神的な血液であるから、食事の最初に、パンとワインを口にすることが好ましいこと
であった。そこで、フランス料理ならずとも、最初に、ワインが注がれる席では、パンを一口、口にすることが非礼どころか、かえって、よいのである。
パンを初めに口に放り込むことは、ワインの味をみることに関係がある。すなわち、口中が酸性になっているとき、パンが中性であるので、パンによって口中を、一応、中和することができる。ワインは、弱アルカリ性であるから口中が中和されていると、ワインの味が、よくわかる。そこで、古代ギリンア、ローマから中世諸国にかけて、ワインを食事に常用してきた彼らは、ワインの味見をするにあたり、先に、一口、パンを食べた。
- 清教徒は、本来、禁酒をたてまえとしたから、食事時も、ワインを飲まなかった。ところが、食事の初めには、誰でも、のどが乾いているから、ワインでなくとも何か水分を欲する。そこで、清教徒の食事では、スープがことさら重要な意味を持つことになった。スープが、熱過ぎるとき、パンをちぎってなげ入れていたし、これは現在も続いている。またスープが熱過ぎるわけでなくともパンを投げ入れ、いわば、パンのおじやを作って食べることが行われていた。1800年代後半に入り、イギリス作法が、確立してきたとき、この、パンのおじやを無作法のものとしてやめ、正餐の場合、スープが熱かろうと、これに、パンを投げ込むのをやめた。かくて、パンをスープが済んでから食べ始めるという新作法に到った。
このイギリス作法は、アメリカにも伝わり、また、オランダ、ドイツに広まっていった。
- アメリカでは、だいたい、最初にワインの出る食事のときには、その前からパンを食べてよく、ワイン以外の酒を伴うか、酒類のない食事のときは、スープが済んでからパンに手を付けるのが礼儀正しいとされている。
ヨーロッパでは、イギリス以外のときは、ワインを飲まない場合も、初めからパンを食べ始めてよい。
- スープが済んでから、パンを食べ始めるときを、さらに、厳密に述べると、空になったスープ皿が、まだ、食卓にあるあいだは、パンを食べないのがよい。
【型3】パンの食べ終わりどき
パンを食べ得るのは、デザート直前の料理の皿に、自分で、ナイフ、フォークを置く瞬間まで。
【説明】
これは、英米式であろうと、一般式であろうと、かわらない。
【型4】バタ・ナイフ
- バタ・ボールについているナイフは、バタを、自分のパン皿に持ってくるまでのもの。
パン皿についているナイフは、バタを、パンに塗るもの(バタ・スプレッダー)。よく、後者で、バタ・ボールのバタを取ってしまう。注意されよ。
- ただし、これらが、なにもないことがある。そのときは、肉用ナイフで、バタ・ボールからバタを取り、パンにも塗る。そのあと、このナイフは、パン皿のうえに、横向きに置かれよ。やがて、肉が出るころ、このナイフで、まだ、欲しいバタを取っておき、
肉が出たならば、このナイフを持ってきて、肉を食べる。
【通解】フランス料理とパン皿
- フランスでは、昔から、パン皿を出さない。パンかごから、銘々、パンを手に取り、ちぎって、まだ食べない部分は、テーブルの上に置いてきた。
現在でも、テーブル・クロスの上に、直接、パンを置いて、フランス風という味わいを喜んでいる。
- パンくずが、テーブルの上にあるとき、手前の床に、これらをはらい落とされるな。ことに、フランス料理では、パン皿を出さないから、パンをちぎれば、大量のパンくず
が、テーブルの上に落ちる。これをむしろ喜ぶとしたもの。
このパンくずは、食事が終わったとき、ウェーターが、大きなヘラで、トレーの上に、はらい落としに来る。
- 指についたパンくずは、パン皿がなければ、パンのある付近のテーブルの上に、また、パン皿があれば、パン皿の上に、落とされよ。このとき、両手ではたかずに、片手で処理されよ。
- パン皿を出さないとき、バタ・ボールも出さないし、バタ・ナイフもバタ・スプレッダーも出さないのが正式。要するに、このパンには、バタを塗らないのであるから、クロワッサンなど、バタをたくさん含んだパンを供されることが多い。
- しかし、そうして見たところ、客がやはり、バタを欲しがることがある。
このときは、小さなバタ皿にバタを入れ、バタ・スプレッダーをつけて、客の個人個人に出すというやり方である。
- または、フランス調であるが、家庭での食事のときのように、崩す。すなわち、テーブルの真ん中に、バタをどっさり出し、それに、バタ・ナイフを添えて置く。食べる者は、そのバタ・ナイフで、めいめいの料理皿にバタを取り、あと、その料理用のナイフで、バタを、パンに塗って食べる。この場合、パンにバタを塗ることのできるのは、スープのつぎの料理が出はじめてからということになる。で、この家庭調は、ア・ラ・カルトだけのレストランで行なうとよい。
【型5】バタのとり方
- 東洋では、「お先にどうぞ」とやるのが、作法の基本の1つに含まれているが、欧米では、先にとって置いてから、「お先に……」とやるのが、基本である。バタなどをとるときも、このやり方をされよ。
- バタを取ろうとしたところ、バタ・ボールに蓋がしてあった。これは、サービスとしてよくないのであるが、そのとき、蓋をあけたならば、その蓋は、バタ・ボールのそばに、置かれればよい。本来、ウェーターが、持って行くべきものである。その蓋は、内
側を上に向けて置かれよ。
- 自分がバタを取ったあと、バタ・ボールをつぎの人に送るとき、バタ・ボールの蓋は、置き去りにされればよい。
- バタ・ナイフで、バタを取ったならば、こちらのパン皿の6時の位置に置かれよ。
【参考】バタ、ジャム、漬物などをとって食べる場合
- バタ
バタ・クーラーに添えてあるバタ・ナイフでバタを使う分だけ取り、自分のパン皿の6時の位置に取る。そうした後、自分のバタ・スプレッダーでパンにつけて食べる。
- ジャム
ジャムの容器にそえてあるスプーン(そえていないときは、自分のバタ・ナイフを使う)でパン皿に取り、そうした後、パンにつけて食べる。
- 漬物
取り箸で、漬物の容器から取って、自分の小皿に取ってから自分の箸で食べる。
これらのものは、1度容器から自分のうつわに取ってから食べるという2段取りの方法を行なうようにする。
【型6】パンのちぎり方
- パンをちぎるとき、ナイフ、フォークは、すべて、置かれよ。
- パンをちぎる位置は、そのパンの置いてあった位置の真上である。
- ところで、パン皿が、左の奥のほうに置いてあることもある。そういうとき、そのパン皿の上で、パンをちぎるのは、やりにくい。
で、そういうときは、パンを料理皿の上に持って来て、そこで、ちぎってよい。
- パンを、ナイフで切られるな。パンはキリストの肉というジンクスから来ている。(そのパンをちぎるのは、もっと痛いはずであるが、そう考えない)
- パンを、歯で、かじり取られるな。トーストのときも、一口分をつくるために、右手で、バタ・スプレッダーを持ち、これで、パンを押さえつけ、左手で、ちぎられよ。朝食のとき、欧米人が、トーストをかじっていても、まねをされるな。どこか、かじり方
が違い、東洋人が行なうと、醜くなる。
- トーストについて、ナイフで切って食べる欧米人がいるが、これは、彼らの中でも、わざと、崩すときの方法。
- パンをちぎるとき、左手でパンをつかみ、同じ左手の親指とひとさし指だけで、パンをむしり取ることが、欧米でもよく行われるが、これも、不作法とされるもの。
- パン皿がないとき、パンをちぎるのは、メイン・ディッシュの上で、ちぎったパンは、テーブルの上に置く。
【型7】バタの塗り方
- パンにバタを塗るには、パンを一口分、ちぎったうえで、それに塗られよ。
トーストのときは、はじめから、一面に、バタを塗ってしまってもよいし、一口分をちぎってから、それに、バタを塗られてもよい。
- トーストを一口分ちぎるとき、右手で、バタ・スプレッダーを持ち、トーストを抑さえて、左手で、ちぎられてもよい。
- バタ・スブレッダーを使ったあとは、パン皿の手前半分に、真横に置かれよ。
【型8】パンの食べ方
パンを口に持っていくのは、右手が正式。左手は、下品とされている。日本人はスマ
ートなつもりで、左手でやりやすい。
【型9】パンの食べていき方
- パンは、1つを食べはじめたならば、最後まで、その1つを食べられよ。
あれこれと、食べられるな。
- パンは、残してもよく、残さなくてもよい。食事中に、パンがなくなったとき、パンの追加サービスが、行われるべきもの。もし、行われないとき、ウェーターを呼び、小声で「パンをください」と申されて、不作法でない。
【型10】食卓でパン芸術は不可
パンを指先で、もてあそんだり、パンの団子をつくったりされないように。
【型11】ライスの食べ方
- 日本から広まり、東洋では、パンのかわりに、ごはん(ライス)を、皿に入れて出すこともやっている。
- このごはんに、塩を振りかけるのは、行儀が悪いとも言われる。
- パンと異なり、スープのつぎの料理が出たときから、食べはじめられよ。
- このごはんを、ナイフで切られるな。フォークで切られよ。
- ごはんのかたまりを、フォークの反り返った背に、ナイフで押しつけて、口に持ってゆく方がある。ごはんは、フォークをスプーンのようにして、すくって、口に持ってゆかれよ。グリン・ピースを食べるときと同じである。
総じて、フォークで、突き刺せないものは、フォークをスプーンのようにして、食べる。
第7章 飲食・喫煙