第12節 起立と着席
【参考】イスの歴史
- エジプトのトウタンカーメン王 (BC1368〜1349) の墓からの出土品を見ると、すでに、ぜいたくなイスが含まれている。
ほとんど、こん日のイスとかわりないから考え込まされる。
- ゲルマン人たちも、避牧民であったから、イスは、かなり、古くから持っていたのではなかろうか。
- 新約聖書の中には、イスが、一般生活に普及していたとしか考えられない表現が、かなり、出てくる。
- 中国でイスを使いはじめたのは、AD 200 年ごろのようである。
遊牧民族のポータブルの折りたたみイスをまねて、同じようなものを作り、家庭用に使ってみたという。
それまでは、日本や韓国の座り方と同じようなことをしていたらしい。
とにかく、このイスの導入によって、中国の生活様式は一変したという。
- 日本では、AD 600 年代まで、すべての人が、男も女も、あぐらをかき、または、片膝を立ててきた。
そこで、座ぶとんの前身である円座のようなものは、ずいぶん昔から日常化していたようである。
- 奈良時代には、神社、仏閣、宮殿を石の床とし、儀式では、中央壇上に、木製のイスを置いて、首長のみが座し、他は、全員起立したままでいた。
これは、唐の形である。こん日も、大和平野の中の神社には、いくばく、石の床のところが残っているし、こん日の神社での昇殿礼拝の形が、これである。
- けれども、この奈良時代にも、会議のためには、古来の風であったところの、一同、アグラをかいて座る形がとられ、そのとき、議長は、一段高いところで、アグラをかいていた。
そのほうが、下腹に力を入れやすく、落ちついたのだろう。
- また、仏教では、すべて、結跏跌座であって、たとえば、一宗の座首(ざす)といえども、大きなイスの上で、結跏跌座していた。
この形は、こん日も、大寺院に見る形である。
- 下って、戦国時代(1467〜1573年)には、武将のよろいかぶとに鉄が入ってきて、重いから、立ち上がりを容易とするため、武将用の組立イスができた。
が、武将以外は、まだ、アグラであった。
- 日本で、一般に、イスの生活がはじまったのは、明治時代からであって、はなはだ、新しい。
- そこで、イス国民の持つイスの取扱い方法が、日本では、わきまえられていないことが多く、そのため、日本人は、欧米などで、よく、いやしまれる。
- 日本人は座ぶとんの取扱いを、うまく、する。そのように、イスの取扱いも、うまくならなければならない。
【参考】軽いイスと重いイス
- イスは、元来、自分の座りたいところに、自分で持っていった。
で、上等なイスほど、軽く、きゃしゃにできているという思想がある。
- そこから、種々のイス作法が生まれている。
- 簡単には動かせないソファー、セズロン(寝椅子)などは、あとから、生まれたものである。
【型1】イスを持ち運ぶとき、床上を引きずるな
- イスを、床上で、引きずって歩くことを、育ちの悪い人物のすることと見る思想がある。
- なるほど、そうすれば、イスにガタが来やすいし、引きずる音もする。
- キャスターのついているイスですら、床上を50cm以上、すべらせていかないのが、1つの教養である。
- イスを持ち運ぶとき、床上を引きずられるな。
オーバーに見えようとも、イスを高く持ち上げて運ばれよ。
【型2】イスの左側通過
- イスに腰かけられるとき、物理的に可能なかぎり、イスの左側から、イスの前に入られよ。
- イスに座っておられて、イスの横に立たれるとき、物理的に可能なかぎり、イスの左側に立たれよ。
- これらは、欧米流の古くからの基本作法の1つとなっている。
つまり、イスでは、物理的に可能なかぎり、どこでも、左側通過ということ。
日本人は、これを知らず、軽蔑される。
- 食事のときも、これを行われよ。
【説明】
- こういう風習のできた原因は、すこぶる簡単なことのようである。
左の腰に刀を下げていたからである。
刀は、女子も下げていた。現在でも、たとえば、イギリスの載冠式のとき、責族の女子は、サーベルを下げている。
- それから、世界中、右側を尊しとする習慣がある。
で、並んでいるイスに座っていくとき、右側のイスの人に遠慮して、そうなっているようでもある。
- ともかく、儀式的な乾杯をするといったとき、イスの右や左に、まちまちに立ち上がったのでは、サマにならない。
また、イスに座っている人は、自分の左側に座っている人が、よもや、こちら側に立ち上がってくると思わないとき、左側の人との間に、物を置いたり、また、左側に、大きく動作したりすることとなる。
で、やはり、イスの取扱いを、左側か右側に統一しておくのがよい。
そのとき、古来、左側であるならば、そのまま、左側に統一しておけということになる。
【型3】イスに遠い手を
後ろの相手と、やりとりが済み、イスに座るとき、尻を、イスに持っていく前に、イスの背に、イスとは遠い側の手を持ってゆかれよ。
そのほうが、相手に対し、かえって失礼でない。
【型4】着席
- イスに腰かけるとき、必ず、手横下
*
としてから、動作を始められよ。
丁寧のつもりで、手前下
*
のままで、行われないように。
第5章10節【型7】「正立」を開きます。
第5章10節【型1】「正座」を開きます。
- イスに腰かけるとき、ピョコンと腰かけられるな。室内の空気を動揺させる。
- おじぎなどを済ませ、着席するときの標準的な時間割。
- おじぎから頭を上げおわったのち、相手の目を見て、立っている。
…1秒間
- イスの背に、手をかけ、イスを充分に引く
…2秒間
- イスの前に両足を入れる
…3秒間
- 座り、そして、座りごこちをなおす
…4秒間
- 女性は、椅子に腰かける時、スカートを処理するためにお尻を撫でることは、絶対になさらぬように。
なお、スカート処理は次のように行なう。
- 後ろにスカートひだがない場合 (図1)
スカートの両脇を軽くつまんで、スカートの後ろ生地を少々張るようにして座わる。
- 後ろにスカートひだがある場合 (図2)
座わる寸前に、ひざの後ろ側を両手の甲で上下、軽くなでるようにして座わる。
- 男子は、イスに腰かけるとき、裾の長い上着を着ているならば、上着の裾を、うしろ左右に払われよ。
- 着席する場合、ズボンを、ちょっと、つまんですわるようにされよ。これは、ピチッとしたズボンの場合に、行なう。
- 男子は、シングルの背広を着ているとき、イスの前に入って、着席するとき、上着のボタンをはずしてから着席されよ。(はずされなくてもよいが)
ただし、男子におけるダブルの背広、および、女子におけるブレザーなどの上着については、上着のボタンをはずされるな。
- 分解練習
- からだの重心を低くする。
- 水泳飛び込み型 (座る直前)
- 浅く座る
- 深く座り直す……女子は、スカートの乱れをただす。容易に動かし得るイスの場合イスを前に引いてよい。
- かかとをうしろに
- 手前下
【参考】
会社などを訪問した場合、しばしば、応接室に通されることがある。
そこには、多くの場合、ソファーが置かれている。
そこで、足を引くことなど、正座などに必要な形をとることができなくなる。
で、こういう場合には、背筋が床面に対して垂直になっていることを、最低条件とするものである。
【型5】座っているとき、イスの前脚を浮かすな
- イスに座っているとき、けっして、イスの前を宙に浮かされるな。
- 欧米では、これを、ことのほか、教養のない行為として、さげすむ。
が、日本人は、欧米に行ったときも、いっこうに平気で、これを、やる。
【型6】イスに座ったまま、および腰で物を取るな
- イスに座っていて、すこし、遠くのものを取ろうとするとき、イスに座ったまま、身体を乗り出して、取ることをされるな。
必ず、いったん、起立してから、物を取られよ。
- これも、日本人が、卑しまれる1つ。
【説明】
会合などのとき、日本人は、立ち上がることを失礼と思うあまり、座ったまま、および腰で、遠くの物を取ろうとする。
が、これを、かれらは、ドロボーの仕草と見る。
【型7】相手のある起立
- 相手が立っているとき、座ったまま、発言されるな。
(授業のとき、この点を、とくに自戒のこと。ことに、学生同士の質疑応答において、注意されよ)
- 相手が立っていても、こちらの身長域
*
内に入っているとき、こちらは、座ったまま発言したほうがよい。
ただし、ふんずりかえった形にならないように注意されよ。
総論44節「用語の約束」を開きます。
- また、挨拶するときは、この場合も立たれよ。
- よほどの老人でないかぎり、中腰は、立ったことにならない。
日本人は、この点、ムードを出しているつもりで、はなはだ、みっともないことが多い。
- 机を前にしても、これに手をついているあいだ、立っているのではない。
このことは、日本において、畳に手をついているのと異なり、はなはだ、失礼とされる。
- 発言のために立ったときは、相手が目上でなくとも、正立
*
されよ。
第5章10節【型7】「正立」を開きます。
- 立って、文書を見ながら、発言するときは、文書を胸の高さまで上げて手に持ち、正立または、半正立
*
されよ。
文書を机上に置いたままで行われるな。
第5章10節【型8】「半正立」を開きます。
【型8】起立
- 手前下のまま、身体の重心を前に移動する。
- 必ず、手前下を、ほどいてから、立ち上がり始める。
- おもむろに、立ち上がる。
- このとき、男子は、身体を前に、最小限、45度は、傾けられよ。
日本人は、わずか、これだけのことを知らないため、どうにも、見苦しい形となる。
- ところで、女子のとき、この45度の最小限度も考えなくてよい。
要するに、女子は、立ち上がるに必要最小限度の前倒ということでよい。
(女子は、上体の重心が、男子より前にある)
- それから、前に机があるとき、ないときの区別、ふくらはぎで、イスをうしろに押せるとき、押せないときの区別は、考えなくてよい。
- それから、髪型によって、髪が、前に垂れる問題はあるが、そういう頭髪で、髪が前に垂れないように立つとすれば、すっくと立ち上がるか、幽霊が立ち上がるようにするかである。
で、こういうときは、平気で髪を前に垂らしたまま、立ち上がり、その後、櫛やハンカチーフで、髪をなおすというのが、品がよい。
【型9】立ち上がったとき
- 座っていたところから、立ち上がった瞬間、両足のかかとを浮かせ、全身をピョコンと上下動される方がある。
まい年、諸君の5%は、はじめそうである。
ホテルに行ってみると、ホテルの従業員の中に、やはり、そういう方々がある。
このクセのある方は、このクセを取り去られるように。
- 同じく、立ち上がったとき、左右に、身体を大ゆれされるかたがある。
これは、欧米人にも多い。が、その欧米人でも、教養のある人たちは、これを、やらない。
で、これに染まると、教養のないグループに所属することを、わざわざ、示していることになる。
- 立ち上がる前、上着のボタンをはずしておられたならば、立ち上がったのち、それを、はめられよ。(通常の仕立てでは1つでよい)
【型10】イスを入れよ
- 立ち上がったとき、イスを、前の机の下に入れられるかぎり、うしろから、そのイスを誰かが引いてくれて、立ち上がったのでないかぎり、必ず、そのイスを、みずからの手で正確に、机の下に入れられよ。
食事のあとも同じ。(とくに重いイスのときは別)
- そのとき、まったく音をさせないように、訓練されよ。
- 音がしそうなときは、はなはだノロノロと行われても、音をさせないほうが、作法にかなう。
- イスは、ゆがめることなく、キチンと机の下に入れられよ。
- 食事中、その他、中座するとき、このイスを半分程度、机の下に入れるのが、中座の信号となっていたが、現代では、全部、入れてしまうのがよい。
- しかし、起立して、質問とか、スピーチとかをし、また、そのまま着席するとき、イスの横に出る必要はなく、したがって、イスを、うしろに蹴出した形のままでよい。
【説明】
- ある年、わたくしは、パリで、ヒッピーの集まるスナックにいた。
そこへ、12〜13名の外国人のヒッピーが、ドヤドヤと入って来た。
はなはだ、にぎやかであったが、しばらくして、その中の1名が、なにか、奇声をあげて、出て行くや、残りのヒッピーが、ザアと立ち上がり、バラバラと出て行った。
その、飛び出て行くとき、1つのことを見た。
1名残らず、無意識に、自分の掛けていたイスを机の下に、キチンと入れていった。
同じヒッピーでも、日本のヒッピーと、習慣が違うというのか。
ヒッピーが、一切の、「型」 を無視する生活に生きていることは、ご承知のとおりであるが、立つとき、イスだけは、自分で始末して行った。
- それから、日本に帰ってくると、たまたま日本の一流ホテルマン幹部20名ばかりの東京での会食に呼び出されて行った。
食事が済んで、一同、別室で、コーヒーをということになった。
ぞろぞろと、立ち上がったが、そのうち3名だけが、イスを、自分の手で、キチンとテーブルの下に入れていた。
また、別の4名が、イスを、いいかげんながら、テーブルの下に、つっこむマネをしていた。
残り、13名のメンバーは、立つや、イスにさわるのが、紳士として恥ずかしいとばかり、そのままにして、しかし、歩き方だけは美しく、別室に進んでいった。
つまり日本では、ホテルマンとして、イスの後始末をする者は1/3ということである。
いわんや、国民一般は、1/10にも達するまい。
こういったところに、イス生活3000年と80年のひらきを見る。
- 欧米では、王侯・大富豪といえども、誰かが、イスを引いてくれたのでないかぎり、みずからの手で、キチンと、イスを机の下に入れていくのである。
【型11】正面の相手への起立発進
いま、こちらが、椅子に腰かけていたものとしよう。
で、相手がこちらの正面にいたものとしよう。
で、こちらが立ち上がり、相手に何かをするものとしよう。
もし、こちらと相手の間に、何の障害物もないのであれば、こちらは立ち上がりざま、相手に対し、真っすぐ行動して行かれよ。
それが美しく、卑屈でない。
【型12】イスに背を向けるな
立ち上がって、自分の真うしろに行くとき、いま、腰かけていたイスに、背を向けられるな。
【説明】
これは、イスのあとしまつをする習慣につながる形のようである。
【型13】足呼吸
- ここでいう話は、誤解がないようにしたい。
- まず、身体中、いつも、つっぱったところがないようにする。
- で、身体を、1つのゴム袋であると思うこと。
- で、いま、息を吸う。息は、口から吸っても、鼻から吸っても、どちらでもよい。
- とくに、深呼吸するというわけではない。
息を吸ったならば、その息を腹の中に入れる。
身体中が、1つのゴム袋であると思えば、そういうこともできる。
(本当に、そうすれば肺がやぶけてしまう。ただ、そう思うだけである)
- 腹の中に入れた息は、肛門付近を通し、ふと股の後ろから、膝の後ろ、ふくらはぎを通し、足の裏まで入れる。
身体中が、1つのゴム袋であると思うから、そういうこともできるのである。
- こんどは、息を吐く。
- このとき、自分のエゴを、足の裏に置く。
- で、こんどは、息を吐く。
そのとき、足の裏付近にある息から、まず、だしてゆく。
そうして、その息は、口から出しても鼻から出してもよい。
- エゴは、引き続き、足の裏に置いたままである。
- 吸う息と吐く息とで、いずれが、大切かというと、吐く息である。
ちょうど、呼吸の 「呼」 とは吐くこと、「吸」 とは吸うこと。
呼吸という言葉からして、吐くほうが先になっている。
- この呼吸法は、寝っころがってやってもよい。
すると、すぐにねむれる。
- また、椅子に腰かけてやってもよい。また、立ったままやってもよい。また、歩きながらやってもよい。(走りながら、やることは、わたくしとして、やったことがないから、わからない)
寝ているとき以外にやると、冷静な判断ができる。
会議が紛糾したり、相手との話が、議論になったときなど、この呼吸法をやると、てき面によい。
姿勢をよくしていなくてはならないときに、この呼吸法を行なえば、端から見て気品があるようになる。
- 足の裏まで、息を入れるように、観念することは、実は、腹式呼吸を行なうことに過ぎない。
腹まで、息を入れようとしても、胸までしか入らない。
そこで、足まで息を入れようとすれば、丹田まで入るのである。
- (なお、臍下丹田というが、臍の真下が丹田ではない。肛門の上にある、神経 (チャクラ) が丹田である。ご参考までに)
- 人間には、2つのエゴの置き場がある。
その1つは、「眉間」、眉間にエゴを置けば、分析的に頭が働く。
このためには、ロダンの 「考える人」 の形がよろしく、うずくまるのがよい。
身体中、いくばく堅くすること。
そこで、教室で、答案を書くときなど、このロダン形がよい。
わたくしも、試験のときには、足呼吸を勧めたりしない。
- もう1つのエゴの置き場は、「足の裏」である。
足の裏にエゴを置くと、直感的・決断的になる。
このときは、身体中、柔らかくしていなければならない。
- 19世紀から20世紀前半にかけて、眉間にエゴを集中するような、頭の使い方のみを勧めたものである。
これのみが科学的であり、足の裏にエゴを置くような頭の使い方は、迷信的であると思われてきた。
わずかに、座禅やヨガの世界で、足の裏にエゴを置くことが、肯定されてきただけである。
こん日といえども、そういう考え方で、頑固を張る人が多いが、少しは進歩してほしい。
- 立居振舞法の土台は、この足呼吸にある。
で、まず、足呼吸ができるようにならなくてはならない。
頭の頑固な人でも、3ヵ月ほど、心掛けるとできるようになる。
素直な人は、1日で、できるようになる。
できないわけは、ほとんどが、肩に力が入っている。
わたくしは、この足呼吸を、はじめ、白隠禅師著 「夜船閑話」 で知った。
であるから、これらは、禅宗での教えであると思っていた。
で、あるとき、カトリックの神父様に、その話をした。
ところが、その呼吸法は、ある修道会で、昔から、やっていると、逆に説明を受けた。
そんなことから、この方法は、昔、東西に広がっていた方法であるかも知れないと思うようになった。
ヨガを通じて、インドでは、ごく、普通にこれをおこなっている。
第5章 立居振舞