第1節 まい日の練習
【通解】
- 1人の人物の作法のたしなみには、2つの部分がある。
その1つは、日常の立居振舞(たちいふるまい)ができていること。
もう1つは、それ以外のことで、のろのろではあるが、知っていればこそ、確実にできるといったもの。
この作法心得の中で、ここの章は、その前者、立居振舞についてのものであり、他のすべての章は、だいたいにおいて、その後者についてのものである。
で、ここの章については、ひとりでに、無意識に、そうなるよう訓練しておられる必要がある。
それは、ただ、反復練習によってしか、得られない。
反復練習は、語学と同じように、日課とされる必要がある。
できるだけ、「鏡」 を見て、行われよ。
- わたくしが30数才になったころ、ある朝9時前に外務省に行った。
用事の相手が屋上に深呼吸に行っていると聞かされたので、わたくしも、屋上に行ってみた。
と、その相手は、広い屋上の片すみで、なにか、ひとり芝居のようなことをやっていた。
見ていると、作法練習であった。
かれは、わたくしに気づいて、やめて、こちらにやってきた。
「いやどうも、つまらんところを見せたな。アパートが狭いもんで、その……」 そう言った。
かれは、「まい日、ちょっとずつ、やっていないと、崩れてきて、大切な瞬間に、そのくずれが出るんだ」 と言い添えた。
ヨーロッパ生活を数年間やって帰ってきた彼であったから、わたくしは、なにか、言い知れぬ、厳しいものを感じた。
もう、いまでは、かれも、大使になっている。
- 屋上の彼にあってから、数年、経った。わたくしは、ある前大使のお宅を、やはり、ある休日の朝9時ごろ、お訪ねした。そういう約束だったのである。広い応接間に通されてみると、この老大使は、薄茶色のカーディガンを着て、応接間の、向こうの張り出しに立っておられた。
「やあ、林さん。おはよう。そこに、かけて、ちょっと待っててな」
見ていると、やはり、作法練習であった。
それは、この作法心得の、この章にも書いてあると同一の内容についての基本的な部分のご練習であった。
わたくしは、数年前のあの友人といい、この老大使といい、外交官とは、こういうものかなと思った。この老大使は日本切っての国際経済の大家の1人であられたから、わたくしも、経済見とおし拝聴に参上したのであり、それだけに、この作法練習には、こたえた。
わたくしは、ひとり、つぶやいた。「一生、勉強なんだなあ」
- で、諸君が、この学校におられるうちも、ご卒業後も、足腰の立つうちは、この章に書いてあることを、できれば、まい日、少しずつ、それは、5分間ずつでよいからおさらいし、研究を続けられることを期待申し上げる。
- もし、なにかのことがあって、この練習が、なん年間も途絶えることがあっても、また、気をとりなおして、始めたまえ。行なえば行なっただけの効果がある。
- ホテルマンにとって、動作、服装は商品である。
第5章 立居振舞