第6章 和式作法 ◆第13節 本膳料理 |
本膳料理は、日本料理の代表的なものである。
その歴史をたどると、つぎのような3つの時期に分けられる。
本膳料理という名前が確立するのが、そのむこうをはる茶懐石料理が発生してからである。
およそ、物ごとには、それに対立する物が現われるまで、名前などというものはない。
本膳料理というものは、奈良、平安時代からあり、はしを使って食べる、日本古来の食事形式である。
はしは、奈良時代に用いており、それまで手で食べ、貝がらでひっかいて食べた形が、はしに置き換えられた。
ご飯を、木のくりもの、すなわち、飯椀に高くてんこ盛りする形も平安時代には、木の皿を用いることが奈良時代に始まっている。
昔あっていまない器は、まな板である。
まな板の上で魚を切り、そのまま、そのまな板の上に乗せて客の前に供した。
いまでは、そのまな板は、調理用のみ用いられている。
飯碗を左に、汁椀を右といったならべ方は、平安時代に確立し、たとえば、縁起式のさだめのごとく、初めは、神様へのおそなえのお膳の並べ方に始まった。
本膳料理がいまの形で定形化したのは、将軍足利義満のおかげである。
彼は、当時、多くなってきた皿の種類を、定形化し、その配列をも定形化した。
さらに、彼は、食べていく順序、したがって、はしをつける順序をも確立した。
海の物、山の物、野の物という順序で、はしをつけることにしたのもそのときである。
一汁三菜、二汁五菜、三汁十一菜といったご馳走のランキングも定めた。
これをお膳の数で表現すると、二の膳、三の膳、五の膳といった種類になる。
これを、定めたのも足利義満である。
本膳料理と宴会料理の大きな相違点は、本膳料理が、「飯」と「汁」に重点を置いているのに対して、宴会料理が「酒」に重点を置いていることである。
献立も、宴会料理では、酒に合わせた配列となったことである。