『青海町自然史博物館とマイコミ平の不思議』
講師 小野 健
第1部 青海町自然史博物館・館内案内
青海町の地質
皆さんよろしいですか。この博物館の特徴は、青海には黒姫山という石灰岩の山があります、それから天然記念物になっていますヒスイ、ヒスイ輝石岩ですね、この二本立てなのです。
青海という所は、地質の変化がいっぱいありまして、たくさんの岩石が取れるのです。これは青海の地図で、色分けがしてありますが、これが地層の種類ごとに分けてあるのです。この青い所が石灰岩で、緑の所には結晶片岩と書いてあります。ここにヒスイとか金とか、世界に青海にしかないといわれる青海石とか
、 奴奈川 (ぬなかわ ) 石 とか糸魚川石というものが出ているのです。そういう風に世界的に珍しい鉱物も出るのです。
それからこれがちょうど県境で、こっちは富山県、こっちが新潟県で、そこの岩石の代表的なものがここに並んでいるのです。一番古いのがここですね、だいたい4億年ぐらい前です。これ(石灰岩)が
3 億 5000 万年から 2 億 5000 万年前、これ(来馬層)が 1 億 6000 万年前ぐらい前ですね。この黄緑色の地層がだいたい 1 億年ぐらい前で恐竜の時代の地層になります。赤いのは親不知のあたり、日本海側の絶壁で北アルプス、いわゆる飛騨山脈がどんと落ち込んでいる所です。ざっとこんな風な形になっています。これは化石でして、来馬(くるま)層の化石はこの辺から出るのですね。
地層の 垂直分布
この写真は黒姫山です。栂海新道から見た黒姫山でして、ここに山小屋が見えますがこれが私の別荘です。この辺の写真は私の写真です。
そういうことで、青海にはたくさんの岩石があり、それが日本を代表するような石なわけです。それらが、これから細部にわたって展示されていますからご案内しましょう。
これは、岩石が垂直分布で見られるということです。それはもう日本ではここしかない、 0 mから 3000 mまでつながる所はですね。一番右は白馬(岳)で、
2932 m、ここから親不知の 0 mまでです。この辺をよく見ると色分けが同じような形で切れていますね。また青くなって緑になって白くなっています。
その各地域の地質の変化を示したものがこの岩石で、白馬の所から親不知の石までずっと並んでいます。これだけバラエティに富んでいるものを、地元の標本だけで展示できるのはここしかない、青海か糸魚川しかないのです。糸魚川の(博物館)は
10 年ぐらい前に見ましたけれども、あそこは割合に買ったものが多いんですね。ここは現地産のものが大半です。
日本の高峰
次は、これが私の自慢のコーナーの一つですが、『日本の高峰30座』という日本の富士山から30番目、野口五郎岳までの頂上の石が、ここに並んでいるのです。なぜこんなものを並べているかというと、日本列島を作っている骨格を成す付加体というものがあるのですが、それがこの日本海側から太平洋側まで、いろんな地層を作るのです。その地層の上にこの頂上の石が乗っかっているのです。飛騨山脈があって木曽山脈があって、赤石山脈があって太平洋ということになるわけです。だいたい山脈というのは高い山が多いですから、30座はその中にみんな入ってしまうのです。富士山は独立峰ですけれど、それ以外は、みんなアルプスから採ってきている物です。国立公園から採ってきて大丈夫かと心配されたのですが、もう何十年も前に採ったから時効じゃないかというので、展示させてもらったのです。
この辺の写真は全部私が撮った写真で、このあたりまでが30座ですね。あれが白馬でしてこれは剣で、この剣の写真は私が還暦のときに、元日に半日だけ晴れて快晴になったときのものです。今年は実は古希ですが、槍ヶ岳のてっぺんで元日を迎えまして、晴れたので結構いい写真が撮れたのです。今晩スライドをやりますので、ご紹介します。なんか10年に一回ほどスカッと晴れるのです。
青海の岩石と鉱物
この辺が飛騨外縁帯といいまして、青海川の上流の古い地層を作っているものが、この辺に並んでいるのです。これは日本列島の下で、地球のプレート活動によって、重たい岩石がだんだんと下に地球の中に潜っていきます。そして軽い岩石の陸地を押し上げているのです。
そのプレートが潜った時に、この接点の部分がものすごく強い圧力を受けるのです。その高圧を受けて岩石に縞模様が入ってしまうのです。ですからこれは4億年の年輪、地球の皺みたいなものでして、こういうのを変成岩、片岩というのです。いろんな片岩があります。一番日本海側に、富山県から岐阜県にかけて飛騨帯というのがあるのですが、あれは地球の中の芯の部分の岩石で、非常に古いものです。
それからプレートに乗ってどんどん押し付けられて、運ばれてきた石があるのです。これが付け加わった石ということで付加体というのです。その一番古いものがこれで、飛騨外縁帯といいます。その次に美濃帯というのがあり、それから領家帯,三波川帯とか御荷鉾(みかぶ)岩類とか秩父帯とか、そして四万十帯と言う地層になって太平洋に消えていくのです。そういうふうなものがずっと集まって日本列島というものが出来ているのです。この辺りは、その中の日本海沿いの一番古い地層なのです。
青海川の上流に行きますと、こういう雲母、これは金雲母なのですが、の入った石があります。こちらは陽起石という鉱物で、軟玉の系統で中国では漢方薬、活力剤でして、太陽の陽に起こると書いて陽起石というのですが、緑閃石なのです。このように点々と粒々に入っているのがザクロ石ですが、光っているのは白雲母です。日本の中でこれと同系の変成岩帯がありまして、その代表的なものがこのようにここに並んでいます。
こっちに行きますと、石灰石になりまして、フズリナなどの化石で地層を分けているものです。2階には、こことは別に石灰岩のコーナーがあります。こちらは青海の石灰岩と他の地域を対比したものでして、これは秋吉台の石灰岩ですね。
こちらの方に行きますと、さっき見ました水色のあの地層がこのあたりなのです。アンモナイトとか恐竜が全盛時代だった時のもので、このあたりでは来馬(くるま)層と呼んでいます。栂海新道の大半が、この来馬層なのです。この中から結構アンモナイトなどが出るのです。その地層がこれですね、この辺に並んでいるものです。これは、しだの葉とかイチョウの葉とかソテツの仲間とかで、恐竜も歯が一部見つかってはいるのですが、骨格は出てきていないのです。そういうものがこの辺に並んでいます。
この辺は地球誕生の歴史を展示しているのですが、これらはだいたい買ったものですね。
ヒスイのでき方
こっちがヒスイのコーナーになります。これはライトアップをすると結構きれいですね。ヒスイっていうのはカワセミのことなんですね。カワセミのような青い色をした石という意味なのです。翡というのはカワセミの雄で、翠というのは雌なのです。翡翠というのは宝石の名前であって学名ではないのです。学名は何かというとヒスイ輝石岩といって、輝く石と書きまして、ヒスイ輝石、ジェーダイトという鉱物から出来ているのです。このヒスイは、輝石にはいろんなグループの輝石がありまして、そのいろんな輝石が混ざりますとこのようにラベンダーになったり黒っぽくなったり、青くなったりいろいろな色が変わるのです。それは共生鉱物の相乗効果というやつで色が変わっていくのです。一般的にヒスイは緑の石と言われているのですが、それだけでは無いのですね。真っ白なヒスイもありますが、それはヒスイというよりも輝石岩ですね。
それからヒスイには硬玉と軟玉があるのです。中国で言っている玉とは軟玉なのです。中国は硬玉が出ないのです。今、世界の宝石学会で一番高価なものとされているのはビルマ産で、ミャンマーのカチン高原から出るものですが、それとここの地域はまったく地質構造が一緒です。出てくるものはほとんど変わらないのですが、色のきれいさではビルマに及びませんけれども、まれにものすごくきれいなものが出てきます。うん百万円というようなものが出てきます。 軟玉の系統がこっちです。中国で玉と言っていろいろなものを加工して売っていますが、あれはネフライトという鉱物で、ヒスイとは全然違うものなのです。どちらも緑色をしているからヒスイと言っているのです。
ヒスイと地質学
さっき言ったように、海洋プレートが地球の中に潜り込んで、沈みこんでいくのですが、これは重たいから地層が下に沈むのです。その時に、ここでものすごい圧力を受けてそのカンラン岩という岩石が変質して、その中の一部分がヒスイに変わるのです。大半は蛇紋岩になりますが、その中で新鉱物になったりヒスイ輝石岩になったりする、ですからヒスイは変成岩なのですね。
このプレートが潜っていく時にかなり、一年に2〜3センチずつ沈み込む、そうしますとここで非常に大きな力が加わります。力が加わってひずみが蓄積されますと、いっぺんに解放されてばっと地層が切れるわけです。切れた時の振動がいわゆる地震なのです。だから構造線の地震というのはプレート活動で、そして日本列島というのはプレートの集まりなのです。どこで地震が起こるのか分からないぐらいプレートがいっぱい集まっているのです。太平洋プレートとか北米プレート、ユーラシアプレート、フィリッピン海プレートとか、そのプレートが日本列島にみな集まってきているのです。
それからヒスイにもいろいろな色があると言いましたが、それがここにあります。青いヒスイとか緑やちょっとダークグリーンとか、これは磨いてありますけれども。
ヒスイが日本ではどこから出るかというと、地図でいうとここ青海と糸魚川、それからこの辺は兵庫県から鳥取県にかけての若狭湾のヒスイで結構有名です。長崎と北海道の旭川の奥のほうからも出るのです。これらはとても宝石になるようなものではないのですが、鉱物学的にはヒスイです。よそのヒスイはこんなものです。真っ黒いヒスイもあるのですが、これはヒスイ輝石がわずかに入っているだけです。
ヒスイが高圧を受けてできたという証拠に、こういう風に粒々になっています。あれもそうですが、モザイク状になってかなりの圧力を受けて、がさがさに崩れるのです。崩れたやつがまた二次的に固まる。それはプレートの動きで相当に圧砕されて、また砕かれて固まるので圧砕岩とも言われるのです。今日、マイコミ平に出かけて入り口のところまで入りますが、そこの岩石もがさがさのブロックがモザイク状になった圧砕岩です。
黒姫山というのは海山型石灰岩といいまして、海底でプレートの上に乗っかっている山の上に、さんご礁が溜まって出来ているのです。プレートはどんどん動いていって、潜っていってしまうけれど、上の部分の石灰岩は軽いですから残されてしまうのですね。残されて崩れたやつが海溝の部分にみんな集まって、がらがらに一旦砕かれてまた自然に固まってそれが持ち上がってくる、その証拠が今日見る予定の古期崖錘という岩盤です。
この辺に展示してあるヒスイは結構質の良いものでして、ここに皮をかぶっていてちょっと茶色をした汚いものがありますが、中がヒスイなんですね。地山から採掘したやつはこういう形で出てくる、だから表面を見るとこんな石は誰もヒスイとは思わないのですが、中を切って見ると結構きれいなのです。これは玉石で出てくるもので、青海川の上流ではヒスイの露頭を発見して掘っていた人もいるのです。
ヒスイの裏話
採掘していた時にヒスイを何(の法律)で掘るか、ヒスイを岩石として掘る場合は採石法という法律がある、ところが長石として掘る、この白っぽいところが長石なのですが、するとこれは鉱物ですから鉱業法になるわけです。母岩は何かというと蛇紋岩で、その中に玉石で入っているわけです。ヒスイは法定鉱物でないのですが蛇紋岩に入っているからある人はヒスイを蛇紋岩の採石権を設定して掘ったわけです。そうしたら、よその人がおれは鉱業法で長石を掘るのだといって掘り出したので、裁判になったのです。それでヒスイが岩石か鉱物かというのは裁判所で決まったのです。12年ぐらい裁判がかかってそのときの判決文も持っていますが、ヒスイは岩石でもなければ鉱物でもない、ヒスイはヒスイである。そういう判決なのですよ、まさに迷判決ですね。結局、成因的には蛇紋岩に関係があるがヒスイそのものは蛇紋岩ではない。長石という鉱物はいわゆる地下資源として有効活用できる、そういうものを長石というのであってこんな不純物みたいな形で入っているものを長石とは言わないのだ、という判断なのですね。
石灰岩と鍾乳洞
2階は石灰岩のコーナーになりますので2階に上がりましょう。この辺は縄文の遺跡から出てきたものですね。ここはヒスイの工房跡がある、寺地遺跡というものです。竪穴式住居がありまして、そこから出土したものがこの辺に並んでいます。大体
4500 年ぐらい前からのものですね。
洞窟の中にまず入りましょう、ここは鍾乳洞です。中には、こういう田んぼの畦道みたいなものができ、水溜りができます。この手のものは秋吉台の秋芳洞で結構大きいものができていまして、リムストーンと呼ばれています。こういうのはストロー、こういうのは鍾乳石ですね、ここにはカーテン、こういうのは筍ですね、石筍といいます。これがフローストーン、流れた跡ですね。
この導入部分に鍾乳洞を作ろうというアイデアは僕が考えたものです。これは福来口鍾乳洞を再現したもので鍾乳洞を抜けると展示物がある。この辺は二次生成物です。石灰岩は水に溶けます。溶けたものが二次的に固まってできたのが、石筍とか鍾乳石というもので、結晶質方解石からできるのです。
これが千里洞という洞窟の中で、ワイヤー梯子がぶら下がっていますね。ケービングの連中が中に入って調べたのですが、関西大学の連中です。 5 年ぐらいかかってやっと地底湖まで降りたのです。洞口がこっちのほうにあるのです。
これはカルスト現象と言いまして、石灰岩は酸性の水に溶けますので、溶解したいわゆる溶蝕地形なのです。ああいう風にぎざぎざになったり穴になったりするのです。今日は本当はあれを、千里洞という
405 mの洞窟を見るはずだったのです。ところが、足場がたいへん悪く、岩場を通るので滑って危ないですから、今日はマイコミ平の入り口の大マイコミというところまでにしましょう。
これはポノールといいまして、今はこんなに水がたまっていませんけど、川の水があの岩盤の中にみんな吸い込まれてしまいまして、川はそこで行き止まりになってしまいます。その下が奴奈川(ぬながわ)洞という洞窟なんです。他に白蓮(びゃくれん)洞といいまして
513 mの日本最深の洞窟があり、 2 番手があれ(千里洞)ですね。
千里洞と植物
千里洞の特徴は何かというと、ブワーッと冷風が、今でも
7 〜8℃くらいの冷風が出てまして、完全に氷河時代の環境なのです。山形にも「じゃがらもがら」という所がありますが、あれも逆転していて、早川さんにいろいろな資料をいただきましたけれど、ちょっと植生が違います。こっちの方がかなり寒い環境でして、気温が低いから大体、白馬岳のあたりに生えている草花が
680 mくらいのところに普通に生えていますね。ですから洞口の上のほうの高いところの植物は普通の植物なのです。だんだん下がるごとにぐんぐん気温が下がっていくのです。今だったら半袖では寒くて居られないくらいです。完全に氷河時代の環境が保存されていまして、そこには高山植物は生えている、非常に珍しいところです。こういう溶蝕地形のところを通って今日行きますけれど、そのあたりの写真がここにあります。今晩この辺の写真をスライドでお見せします。これが千里洞の断面図です。
下の受付に博物館の「青海 4 億年の大地」という本がありますが、ぼくが書いた本ですが、それがガイドブックになっています。それは展示物だけでなくて現地の物も紹介しています。ここはいわゆる屋根の無い博物館と言われるぐらいいろんな物が周辺にあるんです。そういったものを紹介しているのですが、その中にこういった写真も入っています。
石灰岩の 分類
ここにずらっと日本の石灰岩が並んでいるのです。北海道から九州、沖縄まで大体こんなものです。同じ炭酸カルシウムの岩石でもこんなに外観が違うんですね。これはみんなセメントとかカーバイトの原料になるのですが、炭酸カルシウムです。真っ白いのもあれば黒っぽいのもあります。石灰岩というのはいろんな状態でできていまして、粒度とか古生物とかいろんな分け方があるのですが、石灰岩の分類ということで展示しています。
化石の話
この真ん中のは化石で、アンモナイトのもっと古いものですね。アンモナイトはずっと時代が新しく、大体 1 億 5〜6000 万年前ですが、これは 3
億年前以上前のもので、ゴニアタイトからヘラタイトに変わってアンモナイトになったわけです。グループとしては頭足類ですね。今のタコやイカの先祖です。頭が足になっている類で、ぐるぐるっと巻いていてあそこに一つ一つ部屋があるのです。あれはエアチャンバー、つまり空気室なのです。空気室がいっぱいあって底に穴があいていますよね。水を入れると重たくなるから沈むのです。それを吐き出すと中が真空になって軽くなって浮きあがるのです。中間で浮いている場合には途中で止めておいて浮いている。だから潜水艦の原理を3億年前の生物がやってのけた、それの名残です。本体が入っていたリビングチャンバーと、エアチャンバーとちゃんと隔壁を持って切れていますね。側面には縫合線という筋が入っているのです。その筋の形でもって種類を見分けるのですが、この時代のものは非常にシンプルなのです。アンモナイトでは、かなり精巧な縫合線になってきて、ああいうふうに進化してきたのです。そうしてアンモナイトの時代で今度はぐるぐる巻きがほぐれてきたのです。つまり奇形児のようになってきて、絶滅してしまったのです。最初は棒状だったのです、直角石といいます。。その棒の最初の所が繰るくるっと巻いて、だんだんきれいに巻いてきて、一番進化したときにはこうきれいな渦巻きになった。それでまたほぐれてしまったのですね。そういう経過をたどったのです。
だいたいこの辺にいる化石は全部絶滅種です。だから同じ流れを汲んでいますね。このフズリナなんていう米粒みたいな虫がいっぱいいますけれど、これは 2
億 5000 万年前に絶滅した種類なのです。こいつの残党は何かというとアメーバーですね。有孔虫と言う生物です。
それはウミユリですね、棘皮動物で今でいうとヒトデとかウニとかナマコの先祖です。ウミユリという名前ですが植物ではありません、動物です。 3 億年ぐらい前の海底の様子を再現したものが、ここですね。
これはちょっと専門的になるのですけれど、フズリナによってこの石灰岩を時代区分しているのです。こういう風に時代ごとに同じ種類のものが形を変えて出てきて、進化しているわけです。種類によって分ける、時代を表示するものを示準化石というのです。フズリナの種類によってだいたい、いつ頃のものかということがわかるのです。最初にフズリナが石灰岩に見え始めたときは、顕微鏡で見なくては見えないくらい細かいものだったのです。それらが絶滅する前は
10 ミリぐらいの大きさになって、大量にあって地球を支配したのですね。どうして絶滅したか分かりませんが、増えすぎてしまったのでしょうね。一斉にぱぁーと地球上から消えてしまったのです。これが消えた時代でもって、古生代から中生代に変わるのです。だからだいたい古生代、中生代、新生代と分けるのは地球の大事件があって生物がスパーンと変わってしまう、そのときで時代を区分しているのです。
石灰岩の利用
こちらが、石灰岩から何が出来るかという展示で、石灰岩がこんな風に化けるというわけです。ゴムになったり、繊維になったりチューインガムになったり、石灰岩がですよ。
石灰岩というのは、焼いて石灰にして生石灰にしていわゆるカーバイトを作るのです。これをコークスと混ぜて電気炉で 2000 度ぐらいで融かしますと、炭化カルシウムになるのです。炭化カルシウムに水を掛けるとアセチレンガスができます。C2H2 というやつです。アセチレンに塩素を化合させてつないでゆくと、いわゆる高分子結合っていうやつで、ポリビニルアルコールと言う繊維の素になったり、ゴムになったり姿が変わってゆくのです。この辺が昔風で言うと無機化学から有機化学に行くちょうど境目なのです。だからカーバイトは無機物なのですが、アセチレンだと有機物なのです。無機から有機ができるっていうのは昔は考えられなかったので、だからすぱっと分けたのですが今はそんな境目は無いですね。次はこのあたりですね、ボンドっていう接着剤があるでしょう。あれはこのデンカがお得意なものです。小西ボンド、何かというと酢酸ビニルなんです。それが接着剤になる、強力接着剤です、元は石灰岩なんです。
この辺は生きている化石、シーラカンスそれからオウムガイです。化石のアンモナイトがオウムガイに一番近いものです。それから生きている化石でカブトガニとか、オキナエビスこれは長者貝ともいうのです。何で長者貝というかといえば、これを見つけた人がものすごく高く売れたのですよ。それでこれをいっぱい集めて長者になったという、横浜にいる人です。それで長者貝っていう別名がついているのです。僕は金儲けはだめですけれど、だいたいこんな所でしょうか。
石との出会い
この石と私は 46 年前に青海に来たときに、その年にこの石と出会って、それでこれに抱きついたぐらい驚いたのです。そのとき、これは青海川のずーっと上流にあったのです。だからこの石と出会わなかったら僕は青海にいなかったかもしれない。石に憑かれたっていうか、こういうすごい石があるんだと思って震えが来たぐらいの石なのです。それでこれを岩石庭園に使おうと思って、許可をもらって出してきたのです。そうしたら、おまえがそんなに大事な石なら部屋の中に入れろと言われたので入れた、そういう経緯があるのです。これは
3 億 7000 万年から 4 億年くらい前の石で、新潟県では一番古い、飛騨外縁帯の中の岩石です。このちょっと赤っぽいのがザクロ石で、黒い所は角閃石と言う鉱物、白い筋が石英の脈です。ザクロ石角閃石片岩と書いてありますが、こういう風に縞模様になった変成岩のことを片岩、片の岩と書きます。こういう石がこの上流にある、相当奥に、ヒスイ峡よりもっと奥なのです。私にとっては本当に青海に来て、最初の頃の出会いだったのです。それをしょっちゅう見に行って面会してたら、そんなだったら持っていかないかと言うので、持って来てここにあるのです。建物が出来る前に一番最初に収まったのがこの石で、それから建物が出来上がっていったのです。
第2部 マイコミ平見学会導入講演
博物館と私
ようこそ遠い所までおいでいただきました。私は先ほどあの石との出会いで青海に住むことになったと話しました。皆さんにもいろいろな出会いがあると思いますが、私はまず最初に出会ったのがあの石でして、それが忘れられなかったわけです。あいつを置いてはゆけないということで、ここに骨を埋めることになってしまったのです。それでどうせ骨を埋めるなら、石と一緒に埋まったほうが良いだろうというので石集めを始めました。外に岩石庭園がございますが、あれは全部で
450 トンぐらいの石で青海の地質を再現した、標本といいますか庭園といいますか、それも 40 年近くかかって集めたものなのです。私はしょっちゅう、博物館を作ってくれと町の人たちに言っていたのですが、なかなか作ってくれませんで、やっと
40 年後に実現しました。作るのだったら物を集めておけということで、どっさりと集めておきましたので、この展示物の半分ぐらいは僕のコレクションです。ですからああいう企画などもかなり好きなようにさせてもらったのです。それからこれですね、ふるさとの自然と黒姫山の化石と、カルスト地形とかを写真でまとめたもの(冊子名:青海四億年の大地)なのですが、これも出したのです。もう絶版になってありませんが、こんなことでいつの間にかこの年になってしまったのです。
今日はですね、ちょっと雨が上がってきましたので、マイコミ平という所に入る予定です。道路がかなり悪いので、完全にアルペンドライブになりますから、道中くれぐれも安全運転でスピードを出さないように気をつけて行って頂きたいと思います。オオイタドリのブッシュが、ジャングルのようになってその中を突き抜ける所がありまして、本当に山の中に入って行くという感じなのです。そういうところにいきますと、
日本はもちろん世界であるいは日本でももちろんそうですけれど、世界的に貴重な文化財資源、天然資源だと思われる、そういうものがあるのです。本当に今日はどこまで見られるか、ちょっとわかりませんけれども千里洞まで行って、ちょっとスリルを味わってもらえればと思うのです。もうちょっと上に白蓮洞という日本で一番深い洞窟、
513 mというのがあるのです。これはもう高所恐怖症の人はだめですね。それぐらい足元からばぁーと穴が落ち込んでいまして、正に暗黒の世界です。大カルストの、山岳カルストと呼ばれている地形なのですが、そういうものがいっぱいあるのです。少なくとも、ポノールといいます吸い込み口、川が流れてきまして石灰岩の岩盤の中に吸い込まれていく所があるのですが、そこは見てこようと思います。
この図で、青海という所はここで、こんなにカラフルでひときわ違うでしょう。このぐらい岩石の種類が豊富なところなのです。
糸静線周辺の地質
これが栂海新道なのですが、こういう風に色分けができるのです。これはちょっと下の地質図と左右が反対なのですが、この赤いところまでが古生代の地層で、それからこの水色から黄色のところ、ここまでが中生代の地層なのです。これが新生代の地層で、そうして日本海にドンと落ちるのです。これらは後立山連峰でして、地質図で見ますと非常に地質が変化に富んでいまして、しかも古い所は
4 億年近い石から数千万年前ぐらいの地層があるということです。
この図の、このラインを境にして色がまったく変わってしまうでしょう。色の変わって淡い色の所は糸魚川で、濃い所は青海なのです。それでこのラインが糸魚川―静岡構造線(糸静線)という断層帯、構造帯なのです。構造線によってこんなに極端に変わってしまうということなのです。
この図は何かといいますと、ここにフォッサマグナというのがありまして、ここが地溝帯なのです。フォッサマグナの一番西側の端の境目が糸魚川―静岡構造線でして、日本列島が大陸から分かれてきたときに、ここに伊豆諸島が頑張って、それに衝突したのです。こっちから押されて伊豆諸島が頑張っているものだから、前に進めなくなって、列島がひん曲がってしまったのです。ですから糸静線の西側は古い地層がぐぅっと出てまして、ここ
( 糸静線 ) がユーラシアプレートと北米プレートの境目で、東側の地層が下に潜り込んでいて、これ ( ユーラシアプレート ) を持ち上げている、そういう位置付けなのです。
日本の石灰岩
これらは石灰岩地帯ですが、日本の石灰岩というのは北海道は日高山脈にそって石灰地帯があり、東北は太平洋側にありまして、それから秩父とか、奥多摩とかあの辺の内陸に入っていきまして、これが東北日本側の石灰岩なのです。ここにフォッサマグナ帯があります。ナウマンさんが言ったフォッサマグナは、糸静線ともう一つは直江津と神奈川県の平塚あたりを結ぶ線の間が、だいたいナウマンの言ったフォッサマグナなのです。ところが日本の学者はその後、こちら側、東側の境は柏崎―銚子線だと言ったのです。
柏崎―銚子線がさらに 千葉の方に後退しまして、それで柏崎―千葉線と言い、これを“信越房豆帯( しんえつぼうずたい )”と言うのですが、 この地溝帯もその後だいぶ変って
くるのです。いずれにしてもこの辺で東北日本側と西南日本側が分かれます。そしてこの西南日本側には、日本海沿いに一本の石灰岩地帯があり、これを内帯型と言います。中間にあるのを準内帯、ここに中央構造線という大きな構造帯があります。その外側にある太平洋側の方を外帯と言い、その外帯に沿ってずっと石灰岩が分布しています。ですから大体3帯に分かれているのが日本の石灰岩です。石灰岩というのは溶蝕地形を、洞窟を作りますから、洞窟が日本中こんなにたくさんあるのです。図面には書き加えておきましたが、ここ(マイコミ平)はこの図の中に入っていないのです。なぜかと言うとここが未公開になっていまして、無いから私が勝手に付け加えたのですが、ここがちょうど日本列島の中間になるのです。この糸静線を境にしてこっちが西日本、東日本と分かれる、その様な位置付けになっています。
黒姫山石灰岩
ここの黒姫山の石灰岩は、
( いまだ見えてこないですが、 ) 海山型と言います。海底火山が噴火した海山周辺の浅い所は、赤道の温かい海でさんご礁がどんどんと発達します。さらにプレートが地下から、海嶺という所からマグマが供給されて作られ、海嶺で泣き別れになって、南米大陸と太平洋に向かって来るものがあるのです。プレートがずっと動いてくる間にだんだんと冷えてきまして、冷えてくると重たくなって下がってきて、地球の中に入ってきます。そうすると上に載っているさんご礁が、これは浅いところで成長するのでどんどん厚みが増えてきて、そうしてこんな大きな地層(石灰岩)ができてくるのです。このプレートがこっちのプレートの境目でもって下に潜り込んでゆくときに、ここの石灰岩の部分は潜れないのです。潜れなくてどんどん崩れてゆき、こういう風にガサガサと溜まるのです。載せてきたプレートは地球の中に潜ってしまい、石灰岩がここに押し付けられる、こういうのを付加体、付け加えるから付加体というのです。それでこういう地層がどんどん日本列島に押し付けられて、日本列島ができているわけです。このように海山の上に載ってできた石灰岩を海山型というのです。もう一つは、陸棚型石灰岩と言うのがありまして、それは陸地の大陸棚の浅い所の斜面にできる石灰岩です。こういう風にプレートが潜るときに、これ(付加体)が全部破砕されてしまうのです。ガラガラになってまた固まりますから、地層の層理っていうのがほとんど分からないのが、この石灰岩です。今日行ってみます、マイコミ平の入り口の所もモザイク状のブロックになっていまして、まさに破砕されたということが痕跡として見られるわけです。
カルスト地形
それからカルストですね、カルストっていうのは、何かといいますとイタリアとフランスの国境にカルストという地方があるのです。そこは石灰岩がギザギザやポコポコとなった秋吉台みたいな地形になっているので、地方名が一つの現象名になってしまったのです。カルストというのは、元々は土地の名前なのです。石灰岩が溶けますと、ギザギザの地形ができる、黒姫の頂上に登りますとこんな風になっています。こういうのを、カレンとかあるいは、ラピエとかいうのです。これがだんだん溶けてきますとあり地獄みたいなすり鉢ができてくる、これを、ドリーネっていうのです。このすり鉢がいくつも集まってくると、ウバーレというものになります。さらに大ウバーレ地帯がありまして、黒姫山は大ウバーレ地帯で、あり地獄の集まりがこんなにたくさんあるのです。でもこの辺はもう採掘してしまったから無くなってしまったのですが、一部この辺は残っています。この辺は掘ってしまって無くなっていますし、黒姫山にはこういう風にたくさんのウバーレ地帯があります。このウバーレがさらに溶けてきて、皿型状の平坦地になると、ポリエという地形になるのですが、今日行きます、マイコミ平って言うのはポリエの地形なので、平らなのです。この平らなところを川がずっと流れてきまして、川の水がぶつかった所の岩盤に穴が開いていまして、下の洞窟の中にみんな水が吸い込まれていってしまいます。こういうのを吸い込み口、ポノールというのですが、そういう所があります。そうしてこの下が、大きな縦型の洞窟になっていまして、最後は大鍾乳洞になっているのです。
マイコミ平の鍾乳洞
鍾乳洞の図面もそこに載っていますけれど、これは千里洞という洞窟でして、この洞窟、中に雪が溜まっているのです。ここから風が、開放洞窟ですから、ばっと冷風が上がってくるのです。そうしますとこの辺に冷やされた冷たい空気がありますので、洞口の周りが非常に寒いのです。7〜8℃くらいの寒冷で、そのために周辺に高山植物が生えてくるのです。
この図は鍾乳洞でして、まだ調査したばかりで公開されていないので、見ることが出来ないのです。ただ私、議会の議員をやっているときに視察がありまして、そのとき撮ってきた写真を今晩紹介しますが、素晴らしい鍾乳洞です。これ全部延べで
2700 mぐらいある、大鍾乳洞です。そしてこの鍾乳洞の特徴は何かというと、こういう風に横にいった鍾乳洞がいつの間にか竪穴になっているのです。竪穴になって、上に開放されていて、竪穴と横穴がつながっているという、ものすごくスケールの大きなものなのです。そういうのが、まだ未公開で眠っているわけです。将来は開放される時が来ると思いますが、まだ現段階では未公開で、非常にスケールの大きなカルスト地形が、ここに発達しているということになります。後はまた現地で説明いたします。ひとまず終わりに致します。