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2002年6月8日
特別寄稿
「仁科三湖と山小舎カルチャー」

講師特別寄稿

仁科三湖と山小舎カルチャー

大場 秀章


まず、私ごとから:

   私が山に魅かれる理由は簡単で、自然が変化に富むからである。高低差があり、しかも谷あり尾根ありの地形の複雑さに対応して多様な植物が育まれ、それをもとに多様な動物が棲む、というわけである。その多様さが私たちの感触をも刺激する。

 かくいう私は、病弱のため中学になるまでほとんど外出もままならなかった。ようやく健康を回復した私は仁科三湖と周辺の自然に接し、魅了された。東京に生まれ育った私には山のある故郷はなかった。ここを心の中で故郷と思い、足繁く通った。植物採集にも興じたが、一日中、山を眺めぼんやり過ごしたこともあった。山はいつも人気もなく静かだったのが、嬉しかった。それは1950年代後半から60年代のことだった。村の人々の生活はつつましやかであったが、隣人や旅人を思いやる気持ちがさわやかだった。

 植物の研究を仕事にするようになって私の仁科詣でも終わってしまった。仁科どころか、日本の山へ出かけることがほとんど無くなってしまった。だが、ヒマラヤの山中で仁科の山々や湖を思い出したことが一度ならずあった。故郷になっていることを実感した。

意義深い山小舎カルチャー:

 山小舎カルチャーが始まった頃は、まだいまほどにカルチャーばやりではなかったように思う。確かに「朝カル族」(カルチャーのはしりであった朝日カルチャーに通う有閑女性を揶揄した言葉)という言葉は聞こえていたが、世をあげてのカルチャー・ブームはもっと後のことである。当時はまだ講演会とか研究会とかシンポジウムという、堅苦しい会合が多く、酒を酌み交わし、話題を定めて真剣かつ楽しく談義する場はなかった。そうした場が認められていないがために、本来はもっと気楽な歓談を楽しく飲み屋が、こうした場になっていた。そして、大事な話は飲み屋で決まることを批判されもしていた。

 山好きという共通項をもつ、面々がしかも山小屋で真剣かつ楽しく談義することを目的にした山小舎カルチャーは私があるべきものと考えていたものであり、その栄えある第1回目の話題提供を軽く(?)お引き受けした。

クラス会と同窓会:

 山小舎に集った面々と私の接点は、山が好きであること以外にはなかった、といってよい。でも私の方はすぐに打ち解けることができた。観ることが好きな私はこの会の構成が興味深かった。私は、学校に関係する集いには2種類がある、と思っている。年齢がほぼ同じであるクラス会、年齢の開きも大きくただ単に同窓というだけで成り立っている同窓会である。早稲田大学はその結束を誇る同窓会で有名だ。

 この山小舎の仲間はクラス会のそれではない。かといって同窓会のそれでもない。とてもユニークなものだ。どうしてこういうユニークな会が生まれたのか、とても興味深く思っている。

 前回のカルチャーのときは山行までは一緒できず残念であったが、今年はそれもご一緒でき幸いだった。社会的な責任を自覚された大人の集いであり、快い山行が楽しめた。それにしても大学生だった20歳代から始まり、人生の中半・後半の愉悦・辛苦を見詰め合うことができる友人とかくも自然に交わることができる場というのはそうざらにはないのではないか。

 人生の伴侶となった夫人や家族までも加えた、この会のさらなる先行きのドラマを私自身、他人事のようには思えなくなってしまっている。初めは、その自然に魅せられた仁科三湖だが、「山小舎」によって新たに人との交わりの喜びが加わった。よそ者の私を快く迎えてくださるこの会に皆様にこの場を借りて心から感謝の意を表わしたい。