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1996年6月1日
講師紹介
西条 八束 先生
講演
「小宇宙としての湖・仁科三湖を観る」

「小宇宙としての湖・仁科三湖を観る」

西條 八束


T はじめに

 1 父八十の息子としての一言

始めに、さっき父についてのお話がありましたので、父の息子としてちょっとお話ししておきます。私は不肖の子でして、生まれてから詩というものをひとつも書いたことがございません。「お前はなぜ父に近い道に進まず、自然科学の仕事をしているのか?」というご質問をよく頂きます。父は私が理科系に進むことは喜んでおりました。特に母は、私が病弱だったこともあり、将来、軍医か技術将校にして、兵役を免れさせたいという気がとても強かったようです。私が特にその希望に沿ったつもりはありませんが、中学の頃は天文学が好きでしたし、当然のように理科系に進みました。父は詩で食べていくこがどんなに容易でないか、よく知っていたのでしょう。

姉はさっきのお話にも出たように、父と同じ道を進みました。有名な作家の娘というのは、たいてい父親に恋をなさるんですね。例はいくらでもございます。私の姉もご多分にもれず、父を深く尊敬し愛しておりました。私が姉に「娘が親父のことをいくらほめて書いたって、人は信用しないよ」と、よくからかっていたものです。


 2 配布資料「湖」について

今日は、早川さんが、以前私が編集を手伝った保険会社の宣伝誌、「湖」を特集にしたきれいな冊子を皆様に十分なだけの部数、手に入れてきてくださいました。ただ、その中で私が書いた部分のタイトルについては、私は「水面下に秘められた3次元の世界」としておいたのに、印刷されたものは「水面下に密封された3次元の世界」と変えられていました。これは不本意でした。しかしこの冊子が、今日のような機会にお役に立ったのは、思いがけない幸だったと存じます。


 3 湖沼研究の上での仁科三湖の意義

この小屋からは、仁科三湖のうちの中綱湖と青木湖が見えます。鹿島槍も見えます。私の小屋の近くに、こんなすばらしい眺めのところがあるなんて、もう20年住んでいますが思いもよらないことでした。もともと中綱湖はとても綺麗な湖なのですが、簗場の駅を降りたところから見ると、それほどいい湖に見えません。しかし、ここからは中綱湖のよさがすっかり見えますし、青木湖も望めます。ただ、木崎湖は私の小屋の方からでないと見えませんが。

仁科三湖が、なぜできたかということは、2年程前にフォッサマグナの話でお聞きになったと思います。同じ断層の谷にできた3つの湖ですが、青木湖は探さが約58mある日本としてはかなり深い湖です。中綱湖は12mしかありませんが、木崎湖は29mです。このように、58m、12m、29mとみんな深さが違います。同じ農具川という水系にありますから、もとの水質はほとんど同じです。

しかし、湖の性質は、深さによって違ってきます。同じ水質でも、探さが約60mの青木湖と12mぐらいしかない中綱湖とでは、まるで性質が違います。かんたんに言えば、深ければ深いだけ水はきれいで生物は少ない。浅くなれば水が濁ってきて生物が多い。実は、生物が多いから水が濁ってる。そういう違いがはっきりでるのです。そのため、この三つの湖は、比較して研究するの理想的な場所です。湖研究のメッカと言えます。

この本の30頁に、田中阿歌麿先生の写真があります。この方は子爵で、日本で初めて湖の研究を行われた方です。あと2年ほどで、田中阿歌麿先生が山中湖で初めて湖の研究をされて、ちょうど100周年になるので、私たちの学会も記念行事を計画しています。
これは田中阿歌麿先生の晩年のお写真です。このお写真を見ると、私も既に三つしか違わない年になっているのに、まだまだやり残している仕事が多いことを考えさせられます。
田中阿歌麿先生が仁科三湖を中心に研究された、「日本北アルプス湖沼の研究」という1000頁を越す本が信濃教育会から刊行されています。その内容には他の湖も入っておりますが、仁科三湖の研究が中心になっています。


 4 日本で一番美しい湖「摩周湖」

本のはじめの「摩周湖との出合い」というあたりから始めさせていただきます。摩周湖はたしかに素晴らしい湖です。実は、私が摩周湖に私が行きたいと思ったきっかけは、オリンピックのスキーの選手だった猪谷千春さんの父君、猪谷六合雄さんの自伝、「雪に生きる」を読んだことです。あの本は当然、この小屋にもあっていい本です。私は戦争中に持っていた本を誰かに貸してしまい、戦後にひどい紙で再版されたものは持っていますが、その後出ていないようです。その自伝によると、猪谷さんはもともと赤域山の大沼(おの)のそばの旅館のご主人で、スキーが大変好きでした。そのうちに奥さんと千島に旅行し、一時住まわれましたが、その途中摩周湖によったときの話です。一目見て、摩周湖にすっかり魅せられてしまいます。水面の真ん中に可愛い島がありますが、猪谷夫妻はこの島に筏を作って渡ります。夜間の強風で筏が壊れてしまい、命からがら帰ってくる話が書かれています。

摩周湖の水面のまわりはすごい絶壁ですが、湖底の探さは約200mあります。湖底から噴出した火山がそびえていて、その先端が水面の上に出ているのがこの島です。ふつう湖と言えば、皆さんは水面と周囲の景色を見て楽しんでいられる。湖の水面という蓋を取ってしまうと、その下にもう一つの違った世界があります。例えば小島の下に火山がかくれているように。湖の水面の下にかくされている世界、そこには陸上と違った生態系があり、四季の移り変わりもだいぶ違います。このようなことを知ったら、湖への興味ももっと深くなると思います。私自身、そんな興味から約50年間、湖の仕事をしてきたわけです。


U 湖の中の生態系

 1 湖水の中の植物の大部分は顕微鏡でなければ見えない

川は同じ水の世界ですが、絶えず流れていってしまいます。海はあまりに広すぎます。
しかし湖というのは、ここから見下ろしている中綿湖のように、一つのこじんまりと、まとまった世界です。さまざまな生物から構成された生態系を作っています。ただ、陸上と大きくちがうのは、水中に主な生物はプランクトンと呼ばれる顕微鏡でなければ見えない小さな生物が大部分を占めていることです。

陸上でも、すべての動物は、植物を食べるか、植物を食べて育った動物を食べている。さらに、その動物を食べる動物、いわゆる肉食動物もいます。しかし、生物の餌のもとになる有機物を作ってくれるのは、植物だけです。このことは、陸上も水の中も変わりません。ただ水の中の世界が陸上と大きくちがっているのは、岸近くに生えている水草(海なら海藻)は別として、植物が陸上のものに比べてとても小さいことです。植物プランクトンと呼ばれていますが、100分の1から1000分の1ミリぐらいの大きさしかありません。もちろん顕微鏡でなければ、一つ一つの細胞を見ることはできません。それでも、陸上の大さな植物と全く同様に、太陽の光のエネルギーを使って、炭酸ガスと水から澱粉を作り、さらにチッソやリンのような肥料分を使ってタンパク質その他の生物体を作っています。この植物を、ミジンコの仲間などの動物プランクトンが食べ、それを小さい魚が食べ、さらに大きい魚が食べるという、よく知られている食物連鎖の関係になっています。


 2 湖の研究で生態学が進歩した

このように、小さな生物から大きな生物までが集まって、さまざまな食う食われる関係を保ち、生態系が成り立っています。ところが、海は広すぎます。川は流れていてつかみにくい。また陸上の草原とか森林の生態系は、例えばここの森の生態系を考えても、ずっと広く続いている訳です。ですから、その中の食う食われるというような因果関係を調べるのは、とても難しいことです。それに比べると湖は、外部との多少の出入りはありますが、だいたい一つのまとまった世界を作っているだけに、その中の生物の相互の関係などを調べやすいと言うことは、お分かりになると思います。

たとえば一つの例をあげますと、これは海の話になりますが、私はもともと買物が好きなので、定年後はたいてい夕食のおかずは私がスーパーに買いに行きます。魚売り場に行って、例えば、私がハマチを見て何を考えるか、といいますと、ハマチは肉食でイワシを食べてます。そうしますと、仮に200グラムのハマチがあれば、そこまでハマチが育つのには、その目方の10倍、2キログラムのイワシを食べなくてはならない。さらに、2キログラムのイワシが育つためには、イワシの餌になる動物プランクトンの類が、またその10倍、つまり20キログラム必要です。その動物プランクトンは、またその10倍の植 物プランクトンが無ければ育たない。つまり、1匹200グラムのハマチが育つためには、その1000倍、つまり200キログラムの植物プランクトンが必要ということになります。だから、私は1匹のハマチを見ると、ここまで育つのには大変な量の微細な生物が必要だったと考え、よくここまで育ったなと思います。

そういう関係を海で研究しようとしたら、たいへんです。しかし湖だったら、そんなに難しくない。例えば、中綱湖にどういう魚が何匹いて、その餌がどのくらいあるか、ということを調べるのは、そんなに難しくない。そういう意味で、いま陸上の生態学まで含めて、生態学の発展には、湖の研究というものが非常に役立っています。湖の研究から生態学のいろいろな新しい考え方が産まれてきました。

とくに湖の性質は湖の探さによって違ってきます。そういう意味で、同じ水系に探さが違う湖が三つあるというようなことは、比較できると言うことで、とても研究に適しており、仁科三湖は日本で最も優れた湖の研究の場と言えると思います。


 3 透明度の大小は植物プランクトンの多少を示している

透明度ということが、湖の話によく出てきます。直径20〜30cmの白い円坂を水中に下げていき、どのくらいの深さまで見えるか、を調べたものです。例えば、さきの摩周湖はかって、透明度41.6mという世界一の記録を持っています。それを測る透明度坂は、お鍋のふたなどを利用して白く塗った手作りのもので十分です。

透明度というものは、湖がどのくらい濁っているか、あるいは澄んでいるか、を示すものです。また、太陽の光が湖水の中のどのくらいの深さまで入っていくか、を知ることもできます。たとえば木崎が透明度が2.5mあったとしますと、その2倍の5mくらいの探さまでは植物が育ちます。それから下は、光が足りなくなって植物は育たないのです。

ところが、湖の透明度が大さいか小さいかということは、主に湖水中の植物プランクトンの量によります。大雨の後などは流れ込んだ枯土などで濁りますが、それは一時的なものです。12頁の図に、ミジンコなどの動物プランクトンと、きれいな形をした植物プランクトンがでています。植物プランクトンは顕微鏡でなければ見えないほど小さいのですが、これが増えると水が濁って、太陽の光が湖の深いところまで入らなくなるのです。つまり、植物プランクトンは太陽の光を使って光合成をして増えるのですが、増えると、今度は逆に太陽の光が深くまで入るのを妨げるようになるのです。


V 湖の水温の話

 1 気温とは大分ちがった変化をしている

木崎湖の水温も暑い夏には表面で28度くらいになります。湖水が何で温められるかというと、当然ですが、太陽から来る熱です。熱といっても、主に太陽から来る赤外線が水面で水を温めます。赤外線は水面から深さ1mくらいまでにで吸収されて、熱になります。つまり、太陽の光は水面の近くだけを温めます。わかしたての風呂と同じで、水面だけが温かくなります。ただ風が吹くと、ある程度の深さまでかき回され、水面から3〜4mくらいまで、水面と同じ水温になります。夏なら25度以上になります。

ところが、深い方の水は冷たい。今年の冬は特に寒かったため、木崎湖も数年ぶりで一面に氷が張りました。溶けたのは4月に入ってからでした。以前は、木崎もしばしば一面に凍りました。そして3月の未ころに氷が溶けます。まず部の氷が割れ始め、その日のうちに全面、氷が無くなってしまいます。氷が解けると、湖水が上から下まで全部同じ水温になります。一番冷たいときです。そのとき底のほうにあった冷たい水は、夏までほとんど温められずに、冷たい水として残っています。

ここで堅い質問をして恐縮ですが、水は水温が何度のときに一番重くなるでしょうか?
自信をもって微笑んでいる奥様方がいらっしゃるように、水は0℃でなくて、4℃で一番重くなる、4℃からもっと冷やすと軽くなり、氷になるともっと軽くなってしまう。これは水の非常に特殊な性質です。

氷が0℃で溶けた後、風でかき回されながら、まもなく表面から底まで4℃になります。幸いに水は4℃で一一番重くなるため、このときの4℃冷たい水が、夏までほとんど変化しないで、深いところに残っているわけです。

水面に近い水は太陽の熱を受け、風でかき回されて、夏には3、4mの深さまでは20数度の水温になっています。一方、10mあたりから29mの湖底までは4℃近い冷たい水です。このため、探さ4mから10mの間で急に水温が下がります。「湖というのは少し深くなると急に冷たくなるから、泳ぐとき気を付けないと危ない」といわれるのは本当なのです。場所によっては、1m深くなると2度とか3度も水温が下がります。ある程度の探さのある湖では、たいてい、夏の間このような急に水温が下がる層(水温躍層とか変水層と呼びます)があります。例えば琵琶湖などは、冬に氷が一面に張るほど冷えません。 冬の水温は7度くらいです。琵琶湖は深さ100mぐらいありますが、20mから下の水温は一年中7度ぐらいです。


 2 世界一深い湖、バイカル湖

話が少しそれますが、一昨年、私の長い念願がかなって、やっとバイカル湖へ行ってきました。バイカル湖は深さ1637mで世界一深い湖です。また、その水量は世界のすべての湖の水の5分の1に相当します。バイカル湖の底近くの水温は3.2℃です。これは、水深が10m増すごとに水の重さで約1気圧増えるので、約160気圧という大きな水圧のため、1気圧のときの4℃がずれて、3.2℃になったわけです。

木崎湖、琵琶湖、あるいはバイカル湖の例のように、湖の深いところの水温というものは、夏も冬も通して一年中ほとんど変りません。琵琶湖で7度くらい、バイカル湖で3〜4度です。とくにバイカル湖は世界で一番古い湖、25万年前からある湖と言われています。その間に何度も氷河期が来て、地上ではただでさえ寒いシベリアで、氷河期にまた温度が下がったと思われます。そんなに寒くなっても、水の中の生物は、氷河期でも0度から4度くらいの水温の中でぬくぬくとして暮らしてきたわけです。冷蔵庫の中に近いと考えてよいでしょう。このような理由で、湖の深いところには昔の生物がずっと生き長らえ てきたと考えられています。バイカル湖には約2000種頚の生物がいると言われますが、その3分の2が、バイカル湖にしかいない固有種と考えられています。


W 湖の中の窒素とリンの話

 1 湖の中で窒素やリンは肥料として何度も使われる

さっきお話ししたように、湖の中の生物の一番のもとになる餌は、微細な植物プランクトンです。それが光合成をして増えるためには、まず光と水温が関係しますが、いずれも自然に決まってくるものです。植物プランクトンが増えるため、さらに必要なものは、田畑を考えればすぐわかるように、陸上の植物と同様に肥料です。肥料としては、陸上とちょっと違って、水中でカリはあまり不足しませんが、窒素とリンが不足しがちです。ですから、湖の中に窒素とリンを加えてやれば、植物プランクトンはどんどん増えます。そして魚も増えます。実際に、魚を増やすために、湖に肥料を加えていた時代もありました。

この小屋の周囲の森の一本一本の樹木を例にとれば、秋になると葉が落ちて、下へ積もり、やがてそれが腐って分解されます。分解されると、葉の中に含まれていた窒素やリンなどが溶け出して地面の中にしみこみ、次の春に植物が育つときの肥料になるわけです。水中も同じことが起きています。木崎湖で夏の間にプランクトンが増えると、水の表面の近くの窒素やリンを肥料として使いきってしまいます。しかし、植物プランクトンや動物プランクトンの死骸などが、次第に湖の底に沈んでいき、分解されて窒素やリンが溶けだします。このように秋の終わり頃になると、底近くの水中に窒素やリンがたまっています。

秋になって、水がだんだん冷えてくると、冷やされた水は重くなって次第に深い方に沈んでいきます。秋の終わりごろになると、木崎湖では12月ごろに、表面から湖底まで全部同じ水温になり、弱い風でもすっかりかきまわされます。このとき、底にたまっていた窒素やリンは水面まで運ばれます。翌年の春、日差しが強くなると、植物プランクトンは春に若葉が茂るように、昨年の秋に湖底から供給された窒素やリンを使って活発に生育します。これが窒素やリンの循環というものです。


 2 浅い湖では植物プランクトンがよく増える

ただ、このような窒素やリンの循環は木崎湖のような深い湖の話です。しかし、例えば、同じ長野県の諏訪湖は深さが6メートルくらいしかありません。そのような浅い湖では、夏でも少し強い風が吹けば底までかきまわされます。そのとき、底にたまっていた窒素やリンは水面に運ばれます。畑を耕すのと同じことで、一度下へ沈んだ窒素やリンがまた肥料として使われます。したがって浅い湖では、一度湖に入った窒素やリンが、春から秋までの問に植物プランクトンによって何度も何度もくり返し使われるので、プランクトンが次々と増えられるのです。非常に効率がいいわけです。

湖の学問では、はじめにお話ししたような深い湖、植物プランクトンがあまり増えない、透明度の大きい湖を貧栄養湖、諏訪湖のような浅くて植物プランクトンがよく増え、透明度の低い湖を富栄養湖と呼んでいます。


 3 富栄養化による水質汚濁

近年、ご存知と思いますが、日本中の湖が汚れてきました。世界の多くの湖も汚れています。その原因は「富栄養化」である、と言われています。これは植物プランクトンの肥料になる窒素やリンが、家庭や農業、あるいは工業排水として湖に必要以上に流れ込み、植物プランクトンが増えすぎて、水質が悪くなる現象です。木崎湖が昔より、ずっと水が汚れてしまったのも同じ原因です。

窒素やリンの供給が増えた原因の一つは、昔は我々のトイレは水洗式ではなく、いわゆるくみ取りでした。私のこどもの頃の思い出としても、東京市内でも農家の人が車を牛に引かせてきて、樽にくみ取って持っていってくれました。農家の方が、お礼に大根などを置いていったものです。そのころは畑の肥料の大部分は屎尿で、それが作物に変えられていたわけです。とても合理的な循環が行われていました。いまは屎尿は下水に入るか、バキューム・カーで処理場に持っていくか、そのまま海に投棄されている場合も少なくありません。下水処理場があっても普通の下水処理では窒素やリンは半分しか取れません。残りは川から湖や海に入ります。

一方我々の生活のレベルが上がるにつれて、台所から捨てるものが増えています。豚、牛などの家畜の餌も、はとんどが輸入した餌で、広い草原で飼っている場合は稀でしょう。家畜から出る窒素、リンはしばしば大変な量です。工場等から出るものもあります。特にお酒だとか味噌だとか、食品工業などからもたくさん出ます。スキー場などでも、ホテル、民宿が増えた影響はかなり大きいはずです。

このようにして湖に入る窒素やリンが増えたため、プランクトンが増えていますが、それが腐って分解されるのが間に合わないのです。分解されない有機物が湖の底に、いわゆるヘドロとしてたまります。その泥から水中に窒素やリンが溶けだしてきます。これは、湖だけでなく、東京湾、伊勢湾、瀬戸内海などでも同じです。

しかし一方で、魚の餌になる植物プランクトンが増えて何故悪い? という疑問も当然起こります。詳しくお話している時間がありません。私の“小宇宙としての湖”の中に、「富栄養化がなぜ悪い」という章で説明してあるのを、お読みいただけたらと思います。


X 青木湖の環境問題

 1 青木湖の生態系は破壊されてしまった

最後に、この目の前の青木湖で起きている、日本でも他に例がないような大きな環境破壊の問題をお話ししておきたいと思います。

実は、私が荒山幸久さんのお父様にお世話になって、学位論文のために仁科三湖を観測していた1952〜3年ごろまで、青木湖も自然のままの湖でした。大町には昭和電工という大きい会社があります。戦争中からあった話のようですが、その当時はアルミニュームを作っていました。アルミニュームを作るのには、ご存知のように大変な電気を使いますから、昭和電工が発電のために青木湖を貯水池に使うことを計画しました。違う水系の鹿島川の水を随道(ずいどう)で引いてきて、青木湖へ落として水力発電をする。その水は木崎湖に沿った水路で運ばれて、一部は潅漑用水に使われ、そのあと再び常磐とか広津 とかの発電所で使われています。このため、現在でも青木湖は貯水池として冬季21mも水位が低下し、木崎湖も水位が1.5mまで下げられています。

皆様も冬スキーに来られてご存知と思いますが、水位を下げた時の青木湖は実に無残な風景です。一時、大町の市議会とかで、オリンピックの年だけは水位を下げないようにしようという話が出たと聞いています。

しかし、これは風景だけの問題ではなく、青木湖の生態系をめちゃくちゃに破壊してしまいました。一例として、日本で初めて水草の研究をされた中野治房(1930)先生が調べられたころは、青木湖の周りには木崎湖と同じ数の27種類の水草が生えていました。水草があれば、魚がそこに卵を生み、生まれた稚魚もその間に隠れて住むこともできます。また、水草のもう一つ大きな役割は、水が汚れてきた場合に窒素やリンを(肥料として)吸収してくれて、植物プランクトンがあまり増えないようにしてくれます。近年、青木湖の水草を調査された倉田 稔(1974)さんによると、岸近くに生えていたのは陸上の草で、水草は一切生えていませんでした。


 2 冬に水が無いことは、裸で雪の中に放りだされたようなもの

倉田さんは非常に大切なことを言っておられます。湖の水草にとっては、水がある限り湖水はどんなに冷たくても0度まで下がらない。しかし、水が無くなってしまったら、冬の零下20度前後に透するきびしい寒さにさらされることになります。倉田さんの言葉を借りれば、水が無くなれば、「裸で雪の中に放り出されたのと同じことで、水草はみな死んでしまう」と述べられています。冬の水位低下で青木湖がそのような状態になっているのは、深刻な事実です。

木崎湖も冬の間、水位が1.5m低下します。この探さでも水草に大きな影響を与えていることは明らかです。まだ水位低下の始まらない1952〜3年に私が木崎潮を観測していた頃は、湖岸から小舟を出すとき、背の高いアシの茂みの問を通って出ていったものです。今はそんな立派なアシは全く見られません。アシの茂みが鳥なども含めて各種の生物の繁殖などに、どんなに大切か。皆さんもよくご存じと思います。

倉田(1974)さんは青木湖のトンボも調べています。トンボは木崎湖には46種、中綱湖には35種見つけています。いずれも成虫と幼虫の両方が見られています。しかし、青木湖で12種ほど見ているが、これは成虫だけで幼虫は見つかっていない。つまり、すべて他所から飛んで来たものでした。水草が無くなって、トンボも育たなくなってしまったのです。


 3 何とかして自然の湖を取り戻せないだろうか

実は、青木湖の水位を下げたりする契約を書き換える期限が来ているのです。そして、昭和電工は、もうここではアルミの生産はやっていません。確か今年の3月が期限になっていたと思います。この青木湖のように21mも天然の湖の水位を下げている例は、日本でも他にありません。多くの住民も湖の回復を願って、署名運動などを行っています。現在、建設省が仲介に入っています。信州大学を中心にした研究者も多くの署名を集めて青木湖の回復を訴えています。

その関係で、先日、建設省と信州大学を中心にした研究者のグループとの会合がありました。長野県、大町市の方も同席しておられました。私も出席させていただきました。そのときの建設省の説明によると、水利権というものは、いったん設定してしまったら、それを取上げるようなことになれば訴訟問題である。だからどうにもならないという前提でした。そこで建設省が水をやりくりして、現在21m下げている水位を、数mは減らせるのではないか、と考えている。という見解でした。

確かに、工事を行った当時は日本経済の復興期だったから、アルミを作るために昭和電工がそれだけの水を必要としたのも、やむをえなかったかもしれません。環境問題など考えるゆとりはなかったと思います。しかし現在は、昭和電工はここでアルミを作っておりません。他の目的に電気を使ったり、電気会社に売ったりしているのだと思います。40年ほど経ち、社会はまるで変りました。自然保護の点からいっても、こんなすばらしい湖をダムに使って、しかも水位を21メートルも下げるようなことは日本でも例がありません。木崎湖の水位1.5mの低下でも水草などに大きな影響が出ています。

現在、青木湖の問題に限らず、日本では自然保護ということは盛んに言われますが、実際は開発が目的で、自然保護というのは付け足し程度にすぎないのが大部分です。経済的にこれだけ発展した今、日本の貴重な自然をできるだけ損なわずに子孫に残すのは、私たちの責任だと思います。そのような意味でも、このすばらしい仁科三湖の生態系回復のために、青木湖、木崎湖の水問題についての、皆様の深いご理解とご援助を願いたいと存じます。今の青木湖が研究の対象にならないことは、理解して預けたと存じます。私の研究者としての立場からも、日本の湖沼研究のメッカと言える仁科三湖の自然の回復は、強い 強い希望です。

はしょりまして、いろんなことをごちゃごちゃにお話したので、お分かりになりにくかったと思います。しかし、お手元の「湖」の特集、あるいは拙著「小字宙としての湖」(大月書店)を読んでいただけば、ご理解いただけることも多いと存じます。ご静聴ありがとうございました。