作法心得 ◆まえがき

まえがき

花

  1. 1969年(昭和44年)に、わたくしは、東京YMCA国際ホテル学校に来て、観光地域計画論の講義を始めた。が、どうも、研究生諸君がザワザワされる。責任の半分は、わたくしが落語をやりすぎたことにあった。が、わたくしは言った。「ここは、ホテル学校だ。大学を卒業してるんだろう。諸君は、もうすこし、行儀を考えたまえ」で、そういうことを、2〜3回、申し上げたところ、研究生諸君は、すごく、行儀よくすることに、方針がえして下さった。
    が、そこで、わたくしは奇妙なことに気が付いた。
    たとえば、研究生諸君の提出された論文を、わたくしが、お返しするものとする。と、受けとるとき、ひったくるようにされる。そのくせ、乞食のように、七重の腰を八重に曲げて、最敬礼される。珍芸と申すべし。
    「研究生諸君は、心ありて、形知らず」つまり、行儀について、いままで大学でも、あまり、習ってきておられない。
    で、わたくしは、そういうたびに、「こうするもんだ」と文句を付けた。で、地域計画の講義が、作法の講義に化ける日が多くなった。これは、うまくなかった。

  2. 1971年になって、研究科に、作法の時間がおかれることになり、わたくしが、それをも担当せしめられることになった。わたくしは、この学校の先生の中で、あまり、行儀のよいほうでない。が、講師会で、「ここの研究生は行儀がなっとらん」と言い続けたためであろう。それならば、まず、お前が、それをやれということになった。
    で、わたくしは、改めて、各ホテルを歩きなおした。各ホテルの作法の流儀は、かなり違う。が、そのうち、どのホテルでも共通に持つべき「基本作法」のあることが、はっきりしてきた。どのホテルでも、新任者に、この基本作法を教え込むのに、かなりの日数なり年月なりをかけておられる。
    また、その基本作法は、ホテルマンでなくとも、国民一般として、持つべきものであった。
    わたくしは この「基本作法」を、この学校で教えておけばよいと思った。
    しかし、教える以上ガッチリと、教えようと思った。で、夢中になって、年間カリキュラムを作った。が、1回正味50分間、年間29回しかないから、正面切って、教えようとすれば、とばくちだけで、1年経ってしまう。
    で、“研究生諸君が、ご存知ないために、あまりに、みっともない”と思うことだけをピック・アップして、まず1年間、やってみることにした。
    結果は、わたくしのほうが、びっくりした。3ヵ月、半年のうちに見る見る、研究生諸君の日常が、スッキリしてこられた。

  3. で、「これでよいわい」と思ったのであったが、1972年、何名かの研究生諸君が、「もっと、盛り沢山な内容を、自習したいので、教則本がほしい」と申された。
    で、わたくしは、教室でやること以外のことも多く入れたテキストと申すかマニュアルと申すかを、手書きガリ版で作っては、お配りした。
    これは、これで、やってみると、年間に、何百ページというものになり、研究生諸君はよろこんで下さったが、どうも、持ち運びに不便なものとなった。

  4. ところで、1973年在学の研究生諸君は、「基本作法寒稽古」というものを自発的に始められた。で、わたくしのプリントの中の動作諸項目の中から、日常的なものを抽出し、わたくしに、1つずつ、分解して「やれ」とお求めになった。また、研究生諸君も、やってみられ、それを、みんなで、観察した。その中から、わたくしも気が付いていなかった幾つかの、無理がなく、かつ、美しい新所作が発見された。この諸君は、寒稽古用の「教則本」として、その分解動作を図解し、プリントにして配られた。で、わたくしは、自分のプリントに、この「教則本」の内容を、かなり、いただいた。ただ、いくばく、このはめこみにあたって、手なおしを加えたところもある。

  5. 1974年、わたくしの手書きガリ版を、学校で、タイプとう写の本にして下さることになった。この本の名前を「作法心得初版」と名付けた。

  6. ついで、1975年在学の研究生諸君は、自分たちの中から「作法委員」をつくられ、みんなの作法練習の助教とされた。
    この作法委員は、「作法カード」をつくり始められた。
    この「作法心得」の中から、この日に練習する部分だけを カードにして持っていると、練習が容易となる。それはよいが、この作法カードづくりのお手伝いをしているうち、わたくしは、何箇所か、作法心得の中の表現方法を改良したくなった。

  7. 1976年、作法心得初版の余部がなくなったので 増刷するとき、改訂して、第2版とした。このとき、1977年入学の時田裕子研究生が、はなはだ、手伝って下さった。また、本校の中だけで行なっていただく作法を「特別作法心得」に分離した。

  8. 1980年、作法心得第2版が、また、なくなったので、改訂第3版を作ることになった。すでにして、1977年以来、あちらこちらと、たしまえを書いては、ガリ版刷で配布していたので、このとき、それらを全部本文の中に入れた。また、前回のとき、女子洋装の部分、その他について、おおなたをふるって、ページ数をおさえたのであるが、やはり、それは、いけないとあって、その部分の原稿を追加した。
    このとき、1980年入学の駿川武志研究生、溝口孝研究生、星野守技研究生、中野宰孝研究生、秋良光紀研究生、小林恵子研究生の諸君が、すこぶる、手伝って下さった。
    で、各位が、この本の内容につき、ご意見を寄せられることを願ってやまない。

  9. この本をつくるとき、はなはだ、次のご本のご厄介になっている。
    吉岡力(よしおかつとむ):世界史年表:光文社:カッパブックス:初版昭4 4.3
    この年表は、衣食住の世界史といった感じの本であるので、ぜひ、諸君のご一読をおすすめする。

  10. この「作法心得」は、諸君に、生涯、繰り返して、読んでいただきたいものである。語学の大家は、60才になっても、70才になっても、静かに、少しずつ、文法書を読みなおしておられる。この作法心得は、作法の、こういう文法書のように思っていただきたい。

  11. 第2版以来、ことばについての部分を割愛した。
    ことば使いについては、専攻科の歴代言語委員を中心にして、原稿とすべき資料が集積してある。
    けれども、ダン道子先生のご指導を仰いでからにしようというわけで、割愛してある。

  12. 第3版でも、まだ、手薄である箇所は、「公式行事」。
    これを、今後、補ってゆきたい。

  13. この本は、はじめ、もっぱら、わたくしが執筆していたものである。が、次第に、分担執筆の形になってきた。
    そこで、さしあたり、執筆者のお名前を、それぞれの部分の冒頭に掲げさせていただいた。

  14. 第2版以降、東京YMCA国際ホテル専門学校主幹小林道彦先生、同毛利俊雄先生、教務主任廣石常生先生、村松康充先生、川嶋清教務、上山陽一郎教務、清水嗣能教務、鈴木正晃教務、神宮正史教務に、たいへん、お世話になった。お礼申し上げる。

  15. この本づくりにあたり、直接、間接に、ご指導、ご協力を賜った東京YMCA国際ホテル専門学校の、各先生にお礼申し上げる。
    日本製版の方が、非常に良心的な、よい技術を提供してくださったことに、深く感銘し、かつ、感謝申し上げる。

  16. この本ができあがるまでには、次の歴代の作法委員長、および、作法委員のご尽力があった。感謝申し上げる。
    1973年度専攻科生
    ◎松井正二君、平井義弘君、古川美保さん、飯盛信夫君、児島真澄君、小川真知子さん
    1974年度専攻科生
    国分三記久君、武井進君、小野薫(旧性新国)君、小林克郎君
    1975年度専攻科生
    ◎福良哲治君、小泉啓子さん、高橋規之君、山手典子さん
    1976年度専攻科生
    ◎吉田久男(旧性関)君、西山政樹君、管野佐知子さん、設楽艶子さん、須藤温君、吉田美喜さん
    1977年度専攻科生
    ◎山田正一郎君、飯田康子さん、今井淳子さん、伊藤表君、時田裕子さん、上田隆二君、神宮敬悟君、長瀬智子さん、中野喜与さん
    1978年度専攻科生
    ◎後藤光正君、耳塚治子さん、野田靖夫君、田野博英君、戸村雅一君、山崎昭君、染谷誠君
    1979年度専攻科生
    ◎神宮正史君、神園与八郎君、今井律子さん、平岡裕二君
    1980年度専攻科生
    ◎駿川武志君、星野守枝さん、秋良光紀君、小林恵子さん、上原教弘君、溝口孝君、中野宰孝君、高山裕二君、梶谷正治君、薩田結花さん、野村勝君、松橋孝君、福本博也君、星野輝征君

  17. このほか、本校のそとで、何かとご便宜、ご指導を賜った杉山産業株式会社、土屋喜三郎氏、真木小太郎氏(50音順)に、深く感謝申しあげる。

      1981年3月
林 實


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