CHOPICALQUI峰 6356m 登頂

ワラスでは第一次アンデス登山隊でガイド兼ポータを勤めたビクトリーノ・アンへレスが経営している「SOL ANDINO」に3日間宿泊し、この間2回にわたり 4000〜5000m高地での高度順化を行い、6月7日準ガイド兼ポータのシーサ(25才)及びポータ兼テント番のエミリアーノ(48才)と共に途中ユンガイにあるペルー国家警察・山岳救助隊本部に入山の挨拶に立ちより、ついで小雨の中で第一目標の CHOPICALQUI 峰のBC入りをした。
BCの標高は 4200mで、峠道より約1時間足らずの水も豊富な緑の草地の、放牧の牛の置き忘れ物さえ気にしなければ、理想のキャンプ地であった。

目指す CHOPICALQUI 峰を左上に、次に狙う HUASCARAN 南峰と北峰を正面やや右手に見上げることが出来た。
晴れた夜には「南十字星」が HUASCARAN 南峰の上に輝いていた。
我々と同峰登山を目指す山岳救助隊員数名も同日夕刻BC入りをした。
以降の個々の行動記録は別載するが、翌8日より直ちに全員でC−T 4920m への荷上げを開始し、1日遅れてBC入りした現地参加の宮下は立花並びに山岳救助隊クーバ大尉と6月11日にC−Tに入る。
この間既にACへのル−ト偵察と荷上げも並行して進められおり、13日にはシーサを含む全員が早くもACに集結した。天候は9日までは明け方から朝にかけて小雨又はみぞれが降ったが、10日以降は快晴又は晴れの日が続いた。
高度障害も殆どなく、ポータの活躍もあり、途中予定外の休養日が取れる程、順調な毎日であった。晴れの日が続く内にと頂上アタックは14日に決定。

6月14日、午前1時起床、3時出発。アイゼンを着用し、アンザイレンして、各自のライトを頼りにAC背後の急斜面を登る。
数箇所の急登を繰り返し、寒さに震えながらひたすら登り続ける。佐藤が不調を訴え、未だ暗いなか安易に動かぬよう指示して雪面に穴を掘り休ませる。
その少し上から軟雪のトラバースが始まり、まず白石が慎重にルートを切り開く。
トラバースを終えて東面の斜面に出てやっと陽の光に会えた。身体が暖まり軽く行動食を食べる余裕も出る。未だ頂きは何処か定かでない。
そこからも急登が続き、途中ザイル2本をつないでユマール又はブロッカーを使い雪壁を越えるなどするも、行く手は見上げる程の雪の斜面のみ。
この辺りから足首の上までのラッセル状態となり、トップの疲労も激しくなる。行動を共にしている2名の山岳救助1名もラッセル隊員に加わる。
もう1名はやや遅れた宮下と行動を共にしている。
そしてやっと稜線に出る。不要な荷を残して身軽となる。
でも、そこからもまだか、まだかの登りの繰り返しが続く。
垂直の雪壁を避けて右斜面から少し傾斜の緩んだ斜面を登りきると、そこが待ちに待った CHOPICALQUI 峰 6356m の頂きであった。
慎重に最後の数歩を進む。そして湧き来る感激の一瞬、喜びの固い握手を何度も繰り返す。11時45分。

残念ながら周りの山は広がるガスに隠れてしまう。
写真を撮っていると宮下の帽子がひょこりと見え、遅れていた宮下も頂上に辿りつく。
顔が喜びと苦しみでゆがんでいる。皆もそうだ。佐藤がいないのは残念だが、頂上での記念写真を撮り、尽きぬ名残りを残して下山を開始。

AC帰着15時45分。長い、そして感激と濃い疲労の残った日が終わった。 少しのウィスキーで乾杯。
ACで1泊後、一気にBCまで下り、16日BCよりユンガイ経由でワラスに戻る。

CHOPICALQUI 峰登高行は、今季初登頂の記録と、胸の内にたぎる熱い想いを残して、喜びの乾杯と共に幕を閉じたのだった。
谷川氏も我が事のように喜んでくださる。